名曲カルテ◉ショパンのポロネーズ第6番《英雄》〜ドラマ性と推進力に満ちているショパンの最高傑作のひとつ
聴衆はショパンの音楽の本質に「ポーランドらしさ」を求めた
ポロネーズは古い宮廷用のダンスであったが、このリズムの寿命はショパン以前に終わってしまっていた。それを再びとりあげたのはウェーバー。それに更に輝きを与えたのがショパン。彼のポロネーズの中にはポーランドの悲哀と栄光とが流れている。
ショパンは全生涯に、協奏曲を除いてピアノ独奏曲しか書きませんでしたが、ソナタ、バラード、スケルツォ、前奏曲、夜想曲、マズルカ、ワルツ、ポロネーズ、即興曲など非常な多作です。この《英雄》は《軍隊ポロネーズ》と並んで、ポロネーズ曲集中の双璧である。ショパンは、よく祖国愛に燃えた作曲家と言われますが、ロシアに占領された祖国ポーランドに思いを馳せながら作曲したと見て良さそうです。
「ポロネーズ」という名称は、フランス語で「ポーランド風の」という意味であり、18世紀以前にはポーランド国内の史料には現われない。器楽、とくに鍵盤曲のジャンルとしての「ポロネーズ」は、ポーランドではなくドイツやフランスで発展した。それらは確かに宮廷ポロネーズの器楽伴奏に端を発した舞曲ではあるが、ショパンが7歳で最初の「ポロネーズ」を作曲した時には、元の舞踊が持っていたリズムや楽式を受け継いで、ポーランド趣味 ― 一種の異国情緒 ― を感じさせる形式へと姿を整えポーランドへと逆輸入された音楽ジャンルのひとつだった。
そうした舞踊の伴奏としての機能は失われたポロネーズを1830年以降のパリにおいてショパンが書くということには、また別の意味があった。このときポーランドは地図上から消えた国家であり、パリには亡命したポーランドの文化人たちが終結していたからである。聴衆はショパンの音楽の本質に「ポーランドらしさ」を求めたし、ショパンもまた、憂国の士としてこれに応えようとした。
次々と銃弾に倒れていく革命の労働者たち
ショパンが亡くなる1年前の1848年、フランスでは2月革命が勃発していた。かつてショパンと深い関係を持ったフランスの女流作家ジョルジュ・サンドは、当時小規模な新聞を発行しており、エッセイ等で政治的なメッセージを精力的に発信していた。次々と銃弾に倒れていく革命の労働者たち。彼女はショパン『ポロネーズ第6番変イ長調』を聴きながら、ショパンへの手紙の中で次のように書き記したという。
L'inspiration! La force! La vigueur! Il est indéniable qu'un tel esprit doit être présent dans la Révolution française. Désormais cette polonaise devrait être un symbole, un symbole héroïque!
霊感!武力!活力!疑いなくこれらの精神はフランス革命に宿る!これより、このポロネーズは英雄たちの象徴となる!
ショパンは自身の作品に副題をつけることを嫌っていたが、フランス革命当時の知識人や演奏家らはこぞって同曲を「英雄ポロネーズ」として喧伝していったそうだ。
健康的な面のみを凝集したドラマティックなポロネーズ
「英雄ポロネーズ」の旋律は明解で、形式はきわめて簡明である。楽曲は前奏で始まり起承転結のはっきりした4つの旋律がグループを作る。この理路整然とした構造が少しずつ変形されながら曲は進み、起承転結が更に一回り大きな起承転結を構造に拡大して終わることに気がつく。このように《英雄ポロネーズ》は、いくつものレベルで起承転結の構造をもっており、それ故にドラマ性と推進力に満ちている。この作曲家の明るく健康的な面のみを凝集した壮麗な主題を持ち、ピアノ曲としてほぼ最高レベルの演奏技術を要求する点で、ショパンの最高傑作のひとつに数えられる。
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