厳格な楽譜の読みで緻密に再現されるブラームスの音楽 ヴァント指揮北ドイツ放送響◆ブラームス・交響曲全集
ヴァントの厳格な楽譜の読みによって、ブラームスの音楽が緻密に再現される。
ギュンター・ヴァントが1980年代に手兵・北ドイツ放送響と録音したブラームスの交響曲全集。
- 簡単に云うとヴァントの芸風の特徴は厳しく引き締まった造形美にある。重々しく開始されることの多いフレーズもテンポ設定もいたって颯爽として速め。またフィナーレのコーダも大げさなドラマづくりは一切なし。頑固一徹な巨匠と、それにこたえられるオーケストラとの関係性あってこそなしえた名盤。
絶頂期のヨッフム彷彿させられます。何故か風貌も似ています・・・甘さゼロ。ロマンを排した辛口のブラームスですが、これまでのものにはなかったいくつもの新たな発見があることも確かです。
1983,84,85年録音。
通販レコード詳細・コンディション、価格
プロダクト
- レコード番号
- 15 5532 3
- 作曲家
- ヨハネス・ブラームス
- オーケストラ
- 北ドイツ放送交響楽団
- 指揮者
- ギュンター・ヴァント
- 録音種別
- STEREO
GOLD WITH BLACK LETTERING, STEREO DIGITAL 2枚組 (120g/120g), Release 1983/83/84/85, Stamper A2/B1 /A2/B2。
コンディション
- ジャケット状態
- M-
- レコード状態
- M-
- 製盤国
- DE(ドイツ)盤
通販レコード
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オーダーは
品番 /
34-20314
販売価格
8,800円(税込)
ギュンター・ヴァント(1912.2.7~2002.2.14) 1912年、エルバーフェルト生まれ。ケルン大学で音楽と哲学を学ぶ。地方歌劇場からスタートして、1939年にケルン歌劇場指揮者となる(〜1944)。しかし、第二次世界大戦が起こり連合軍の爆撃でケルンが破壊されてからは、ザルツブルクに移りモーツァルテウム管弦楽団の音楽監督(1944〜46)として終戦を迎える。
戦後、ケルン市の音楽総監督として、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の指揮者(1947〜73)をつとめる。その後74年からはベルン交響楽団の指揮者をつとめた。1982年からハンブルクの北ドイツ放送交響楽団音楽監督となり、1990年に退任後も桂冠指揮者として密接なつながりを保っていた。
ヴァントは、戦後長く首席指揮者をつとめてきたオーケストラと1952年以来約20年にわたってフランスのレコード頒布クラブ「クラブ・フランセ・デュ・ディスク( Club Français du Disque )社」に30枚40曲近い録音を続けてきた。それらのうちベートーヴェンの交響曲選集とミサ・ソレムニスの録音が2002年末に TESTAMENT 社によってリマスター( EMI のART で知られる Paul Baily による)が施されて市場でCD発売された。2003年にはモーツァルト後期交響曲、04年には「天地創造」もリリースされた。このクラブ・フランセ・デュ・ディスクとほぼ同時期に英 EMI のレッグからも契約の申し出があった。しかし、マイナーなこの頒布クラブを選んだ理由は、同クラブの実力者が戦時中フランス・レジスタンスのメンバーであったこと、そしてその彼がヴァントに「ここでなら本当にやりたいことができる」と説得したことにある、という。
そうした背景には、ヴァントの気質がよく分かる逸話がある。1960年1月にバックハウスと録音したシューマンのピアノ協奏曲のレコードは、英 DECCA レーベルでのヴァントの名を残したセッションでしたが、グリーグの協奏曲も予定されていたのをヴァントは両曲を一枚のレコードに組み合わせることを嫌った。「あの曲そのものだけを言うなら、嫌いじゃない。でも結局は、他の曲と併せてプログラムを立てるとき、合うかどうかの問題です。それが私には、いつも大事。バックハウスのピアノは素晴らしかった。きちんとした、品のある音楽。で、グリークと併せるのはもったいない気がした。だってどんなレコードにも、シューマンとグリークのピアノ協奏曲を表と裏に入れていた。このシューマンは違うべきだと思った。」
それで、同じシューマンのピアノ独奏曲が録音されたが、レコード会社は喜ばなかった。せっかくオーケストラ使ったのに使わないとは。ヴァントの DECCA 録音盤が一枚で終わった顛末だ。
ヴァントは後年、これらの録音について次のように述べている。
「この仕事は素晴らしいもので、芸術的成果も完全に満足のいくものとなっています。今でも私はこれらの録音に素直に耳を傾けられますし、恥じることなどありません。レコード録音はライヴとは異なり、何年も後に聴かれるものであるから、技術面で完璧であることはもちろん、聴いて価値のあるものにしなくてはならないと思い、録音に臨みました。偶発的・思いつき的なものではなく、意味のあるもの・後の時代にも落ち着いて鑑賞できるるものにしたいと考えていたのです。」
晩年、ベルリン・フィルとのブルックナーのライヴ録音でギュンター・ヴァントの名前はクローズアップされる。1989年のカラヤンの死を皮切りに、バーンスタイン、ショルティ、クーベリック、はたまたチェリビダッケも死んでしまい、クラシック音楽のファンでもメジャーレーベルを聴く限りでは巨大さに気づかなかったヴァントにお鉢が回る形での注目ぶりだったがカラヤンに引けをとらない存在ぶりで、ライヴでもデジタル録音時代においては編集技術で完璧を目指すことを認知していた。それまで限られた愛好家の間で聴かれていた巨匠。聴いてみると、この時点でヴァントのベートーヴェンらしさは固まっていたんだ、とわかります。アンサンブルの精緻さ、楽譜への忠実さなどなど。後に発売されたヴァントの北ドイツ放送交響楽団とのベートーヴェンの交響曲集を彷彿とさせます。
ブルックナーのブームの一つを盛り上げた、ヴァントのノヴァーク版嫌いは有名である。
「ブルックナーが自分で改定しているのに、その前を採ることは、私にはできない。作曲家の最終決定が、指揮者の守るべきことなのに、どうして前の稿を指揮するひとがあり得るんだろう」
これがギュンター・ヴァントの真骨頂。ブラームスの交響曲全集は、ウィーンのオーケストラの音でも聴きたいと期待するところですが、ヴァントは次のように語る。
「ウィーン・フィルだとホルンやオーボエが特に違うことについて ― どちらでもいいことです。いい仕事は、時間をかけて作り上げなければ。ウィーンでなくてケルン、ハンブルグでそれをしたのだから。そういう巡りあわせだったということです」
事前の微に入り細に入りの練習を嫌うウィーン・フィルは演奏会での実力を見せるオーケストラだが、『ウィーン・フィルだろうと何だろうと、(ヴァントが)指揮を預かる限り、譲らない。いい関係は、だから生まれない』と言い切っている。
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