通販レコードのご案内 カッチェンによるブラームスの演奏は高度な技巧と確かな様式感を軸とした充実した名演。
自作を聴いた聴衆から「天国に持って行きたい」と言われたら作曲家は相当嬉しいと思う。そう言ったのが、親しい女性だったら尚更である。実際にクララは、こういってブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番 op.78 を誉めた。ブラームスの喜びはいかほどだっただろう。どうもこの作品は女性たちの感性に深く訴えるようだ。才色兼備のリーズルことエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルグはヴァイオリン・ソナタ第1番を自分に献呈して欲しいとねだったのだ。ところが誰にも献じられていないのは深い訳がある。
クララの最後の子供フェリクスは、元来病弱だった。ヴァイオリンを嗜んだというフェリクスにちなんで、ブラームスはヴァイオリン・ソナタ第1番の第2楽章の冒頭部分の楽譜を24小節にわたって引用した手紙でクララを慰めたのだ。薬石効無く、フェリクスはこの世を去る。ヴァイオリン・ソナタ第1番の完成はその年の秋である。その演奏を聴いたクララは、「雨の日には幼い頃を思い出す」という趣旨のテキストをもつ歌曲「雨の歌」の旋律で始まる第3楽章中で、この旋律が回想されるのを聴くに及んで「天国に持って行きたい」と称した。
《仏ダーク・ブルー》FR DECCA 592163 カッチェン ブラームス・ピアノ作品全集 わたしがブラームスを意識して聴いた最初は交響曲第1番でした。何度か繰り返し聴いて、音楽の流れを覚えてしまったぐらいの時でした。夕方聴き始めて、第3楽章から第4楽章に入ったぐらいの時に西陽がレコード・プレーヤーを包み込んだ時に、この音楽を心で感じてしまいました。それから時を得て、《ドイツ・レクイエム》を聴いた時にブラームスと対面した思いがして以来、宗教への敬虔さをブラームスにいつも感じています。
カッチェンがソロで弾くときは、速めのテンポで力感・量感のあるタッチで弾くことが多いのに、ピアノ伴奏をしている時は、やや控えめな柔らかいタッチで、ヴァイオリンにぴったり寄り添うような奥ゆかしさ。ブラームスの室内楽を聴くときは、いつもこのヴァイオリン・ソナタと、シュタルケルも加わったピアノ三重奏曲。ブラームスのヴァイオリン・ソナタは、ヴァイオリンは旋律・分散和音主体で旋律を朗々と歌うのに対して、ピアノはかなり響きに厚みがあって凝った書法で、どうしてもピアノが目立ちがちになる。
名曲、名演奏で職人技の名録音と三拍子が揃った、まるで即興演奏のライブ録音のようです。
甘い音色とロマンティックな旋律でしっとりと優しい雰囲気のヴァイオリン・ソナタの第1番、副題の「雨の歌」はブラームス自身がつけたのではなく、第3楽章の冒頭の旋律が歌曲「雨の歌」から引用されていることからつけられた通称のようなもの。特に「雨」について歌った曲ではないと言われている。ちょっと雨の音を聴きながら物想いにふけっているような穏やかさがあって、うっとりと聴いてしまうスーク&カッチェンのヴァイオリンとピアノのためのソナタ全集は、カッチェンが亡くなる2年前の1967年録音。
この録音当時、カッチェンとスークは40歳前後。音楽の方向性も似ているところがあったせいか、呼吸がぴったり。スークの美音に加えて、カッチェンのピアノの優しく甘い繊細な響きがとても綺麗で、淡い陰翳のあるとても爽やかな叙情感のブラームス。美音で有名なスークのヴァイオリンは、朗々と歌うけれど情緒的にまではならない。音は引き締まってはいるけれど深みも暖かみもあって、豊潤な響きではなくて、ちょっと線が細いが気がするけれど澄んだ響きと細かいニュアンスに落ち着いた品の良さを感じさせる、とても美しい音がする。
カッチェンのピアノは、1960年代後半はかなり演奏の内容が深化して、弱音のタッチや響きが繊細になっていった時期。このヴァイオリン・ソナタ全集もその時期の録音なので、その頃のカッチェンのピアノの弾き方の特徴が良く出ている。ブラームスのピアノ曲全集を録音した時とは違って、ほの暗い翳りが少ない音色。とても柔らかで優しく、透明感のある美しい響きに、ピアノ独奏の時よりも美しいかもしれないと感じさせる。スークのヴァイオリンの表情に変化にぴったりと合わせていて、寄り添うようなピアノがとても奥ゆかしい。ピアノが前面に出るべき時はしっかりと出ているけれど、力強くフォルテで弾く時でも、ヴァイオリンと調和させていくような気遣いが感じられたりする。ピアノは両手十本の指で、和声を奏でられる楽器だけど、ヴァイオリンや管楽器の様に余韻を引くことは出来ない。合わせて弾くことは格別なのだろうなぁ、と思える典型例。
哀愁漂う旋律はブラームス以外にかけない名曲で、豪放にして繊細なシュタルケルのチェロを交えての、チェロとヴァイオリンとピアノのための三重奏曲 ― シカゴ交響楽団で首席チェロ奏者の座を歴任、その後ソリストに転向したハンガリー生まれのシュタルケルが40歳代の録音か、若き日のシュタルケルの豪放にして繊細な芸術が堪能できます。よく大きいチェロを軽々とバイオリンのように扱うと揶揄された典型例、まるで即興演奏のライブ録音のようです。この曲に楽譜があることを疑わせるほど、すべての音がシュタルケルの霊感から生まれていて音楽が今まさに誕生する瞬間に立ち会うことができます。一挺のチェロの限界を大きく押し広げ、さらにそれをも大きく超えた演奏のように聴こえます。
カッチェンはひとりはるかにブラームスの才能の上を行く。作曲家が想像した以上の域にまで高めていく。
人生半ばのブラームスと晩年のブラームスの心境が良く出ている“間奏曲”と、“奇想曲”は、“ピアノ小曲集”と“幻想曲”としてまとめられている、まさに手渡されない恋文集。
気軽に楽しめる“ワルツ集”、“2つの狂詩曲”、“4つのバラード”の好選曲。
作曲家自身によるオーケストラ編曲版で最も親しまれている2台ピアノのための“ハンガリー舞曲集”はカッチェンのブラームスの中で最も入手難盤。
20世紀ブラームス演奏のスペシャリストで誰にでも勧められる
驚異的な技巧と深い教養に裏打ちされた音楽的な表現が印象深いカッチェンの演奏は、抒情的な感情に溺れることなく理知的で、現代人の感覚にもストレートに訴えかけてきます。レパートリーは古典から現代曲まで、またスラヴものからドイツ、フランス、アメリカものまで幅広く、DECCA には40数枚のLP録音を残しました。なかでもブラームスは晩年のカッチェンがもっともこだわりを持って取り組んだ作曲家で、ピアノ作品全集の発表によりブラームス・スペシャリストとしての評価を決定的にしています。
洗練されたカッチェンの美しきピアニズムは本盤でも遺憾なく発揮され、淡々とした美しさを奥深い透明感で貫いて描ききる素晴らしい名演。数々の英 DECCA のオーディオファイル・レコードで、カッチェンは弾力的なリズム感と固い構成感で全体を見失わせない実に上手い設計で聴かせてくれる。冒頭から終わりまで息もつけぬ緊張感を味わえます。
英 DECCA 社は、この米国から来たピアノ演奏の逸材を起用したレコードの売上から利益を計上したと関係者から聞いた事が有ります。ちなみに、このブラームスはピアノ作品完全全集として後に集大成され10枚組( narrow band ED4 )でリリースされていることから、裏付けているようなものです。本セットは「Decca Classiques」としてカッチェン没後にフランスでリリースされた11枚セット。1969年、わずか42歳で帰らぬ人となったことは残念で仕方ないですが、DECCA 録音のブラームス・ピアノ部門はカッチェンが背負っていたと云っても過言でない。その短い生涯の間に、ブラームスのピアノ独奏曲とピアノ協奏曲のすべてを録音した。これはブラームスを愛好するものには大切な記念です。
■ステレオ録音、優秀録音、名演。