Louis Hector Berlioz
(1803.12.11 〜 1869.3.8、フランス)
革新的な管弦楽法。標題音楽の創案者
自由奔放な性格を持った最もロマン派的な作曲家。医者の家に生まれたため大学では医学を学んだが、途中で音楽学校に転校し、作曲の道を歩むようになる。27歳で大作「幻想交響曲」を作曲し、まもなくローマ大賞を獲得してローマに遊学した。「幻想交響曲」は、ベートーヴェンの死後数年を経ずして書かれたにもかかわらず、全曲を一貫する「固定概念」という新しい手法を編み出したり、また膨大な楽器編成による色彩豊かで革新的な管弦楽法は、リストその他のロマン派の作曲家たちに大きな影響を与えた。
序曲「ローマの謝肉祭」、「ファウストの劫罰」、歌劇「ベンベヌート・チェリーニ」などは特に有名。ほかに「管弦楽法」という著書も有る。
エクトル・ベルリオーズ 略歴
ベルリオーズは、1803年フランス南東部のラ・コート・サンタンドレで生まれた。彼の父親は医者で、恵まれた環境の中で育てられた。パリの大学で医学生として勉強していた彼は、次第に音楽に傾倒し、ついに父親の反対を押し切る形で、パリ音楽院に入学したのであった。
音楽家となった彼は、貧困生活を送りながら作曲活動をしていたが、生前は全くと言っていいほどフランスで評価されることは無かった。また、世界一のヴァイオリニストとして有名なパガニーニが彼にお金をくれたという逸話が残されている。現在の金額にして1000万円ほどとのことで、ベルリオーズはこれに感謝し、パガニーニに曲を献呈しているのだが、どうやらこれは、楽譜屋が楽譜を売るために作った作り話であったことが分かっている。
- 1803年
- フランス南部で生まれる
- 1821年
- パリで医学生となる
- 1822年
- パリ音楽院に出席
- 1825年
- サン・ロッシュ教会でコンサートを開く
- 1830年
- ローマ大賞受賞
- 1832年
- ハリエット・スミスソンと結婚
- 1854年
- マリー・レシオと結婚
- 1869年
- パリで死去