悲劇のチェリストの代名詞のような ジャクリーヌ・デュ・プレ、サージェント指揮ロイヤル・フィル ディーリアス・チェロ協奏曲
デュプレの生涯を調べてから改めて聞くと、まさにその壮絶な人生と闘病の歴史を身をもって聴かされるかのようです。
多発性硬化症のため42歳で生涯を閉じるとは誰が想像しえたでしょうか。余りにも早くこの世を駆け抜けていってしまったジャクリーヌ・デュ・プレ。
演奏活動の期間が短く残された録音が少なかったが、ディーリアスの協奏曲は彼女が二十歳の誕生日を目前にして挑んだ初の協奏曲録音でした。日本でデュ・プレの知名度が上がってくるのは、アメリカでのツアーの後活動を停止してからのこと。僅かに三浦淳史と吉田秀和が欧州でのデュ・プレ人気の凄さを喧伝してはいたものの、手に入る日本盤が皆無では彼女の名が広まる術もなかったのが理由だ。
本盤は日本盤が遂に出なかったからか、デュ・プレの名が知られるにつれ、新録音が不可能だったこともあってか、エルガーの協奏曲と表裏に組み合わされて発売されることになった、ディーリアスの協奏曲だけは聴かれるようになるが、「告別の歌」と「日の出前の歌」は永く顧みられなかった。
デュ・プレは1962年に生地ブラッドフォードで催された生誕百年記念「ディーリアス音楽祭」に招かれ、誕生日当日(1月29日)チェロ・ソナタを演奏しているから、ディーリアスの音楽には相応に親炙してはいたろうが、この録音以前に協奏曲を弾いた経験はなかったといい、現場にはエリック・フェンビーが立ち会っていろいろ助言を与えた由。その甲斐もあってか、素晴らしく感興に満ちた魅惑的な演奏が残された。共演者はマルコム・サージェント卿。1962年から65年までの毎夏、デュ・プレは4年連続して「プロムズ」出演を果たし、その度に十八番のエルガーの協奏曲を披露しているのだが、伴奏指揮はいつも決まってサージェントだった。先にも書いた通りの人物で、ここでもまたファンタジーの飛翔が限りなく美しい名演です。デュ・プレのディーリアス録音はこうした毎夏の共演を通して、大指揮者との信頼関係が育まれつつあるなかで実現した。
「アフリカのマーラー」といった興味深いレパートリーが代表する有名録音盤としてあるくらいに、ディーリアス最晩年の1932年、フェンビーの助力で完成した管弦楽伴奏付合唱曲「告別の歌 Songs of Farewell」が世界初演されたとき、指揮台に立ったのはほかならぬサージェントだった。ビーチャムはこの曲もまたお気に召さず、1961年のビーチャム卿の長逝を待っていたかのように、サージェントがこの愛着ある大作を録音したのは実に意味深長だ。しかもビーチャムの手兵だったロイヤル・フィルとそのコーラスを統率してのセッションなのだから。
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