通販レコードのご案内 ボヘミアの民族色がストレートに表現された独創的な作風で、親しみやすい旋律やリズム感に富んでいます。マジャール人ケルテスのリズム感に快感すら覚えます。
《ザ・スーパー・アナログ・ディスク FFSS LONDONレーベル 200グラム重量盤》JP LONDON K38C70035 イシュトヴァン・ケルテス ロンドン響 ドヴォルザーク・交響曲8番「イギリス」 テルアビブの海岸で散ったケルテスがベストパートナーだったロンドン交響楽団と残してくれた逸品。ホルンの名手、バリー・タックウェルも在籍していた当時のロンドン交響楽団は、技術はもちろん、表現力にもかなり高度なものがあり、また、英 DECCA の優秀な録音技術もあって、この作品本来のロマンティックな味わいを満喫することができます。
- 比類なき広大な周波数レンジ(10Hz~35KHz)
- めざましいトランジェント特性(卓越した解像度)
- 迫真のエネルギー感(瞬発力ある圧倒的な迫力)
- 低歪率(清澄な透明感、混濁のない音質)
- アナログの精密度(キメが細かい、なめらかな肌触り)
等のクオリティを有し、特別高品質材料を使用した超重量レコード(180g)に特別限定プレス
と謳われたこのレコード盤の宣伝文句は30年前は「誇大広告」と不審に思いましたが、オーディオ装置止揚した故か、やはり一級のオーディオファイル盤として再認識できました。
若くして事故死してしまったケルテスが、首席指揮者を務めていたロンドン交響楽団を指揮したこの録音は彼の代表的名盤ともいえる演奏です。ケステスはブダペストに生まれ、リスト音楽院で大作曲家ゾルタン・コダーイに学んでいます。1955年からブダペスト国立歌劇場の指揮者となりましたが、1956年ハンガリー動乱で西側に亡命。1960年にアウクスブルク国立歌劇場の音楽総監督に就任し、1963年から亡くなるまでケルン国立歌劇場の音楽総監督を務めました。コンサート指揮者としては1965~68年までロンドン交響楽団の首席指揮者を務め、同時に英デッカにドヴォルザークの交響曲全集を始めとして数多くの録音を行いました。そしてウィーン・フィルへの客演や録音も軌道に乗り、いよいよ巨匠への飛躍の時期だった1973年4月、イスラエル・フィルに客演した際、テル・アビブの海岸で遊泳中に高波にさらわれ溺死しました。まだ43歳でした。
ニキッシュに始まり、ライナー、フリッチャイ、オーマンディ、セル、ショルティと続くハンガリー指揮者界の栄誉を受け継ぐ期待のホープであったケルテス。もし、彼が、これからという時期に他界しなかったら、アバドや小澤世代のケルテスの存在は20世紀末の指揮者の勢力地図を大きく塗り替えていたろうと誰もが思っています。1961年録音のウィーン・フィルとの《新世界より》が大評判を呼び、その続編として第8番がロンドン交響楽団と録音されました。以降、1967年に発売された再度の《新世界より》を含め、1968年の序曲集までも録音したドヴォルザークの交響曲、管弦楽曲の全集。ストラヴィンスキーを予見させるような新鮮なモーツァルト、ウィーン・フィルとのシューベルトはとにかくも、ブラームスのセレナードまで含めた交響曲全集へと、DECCAレーベルの入れ込みようは並々ならず。ウィーン・フィルをカラヤンの指揮で録音するための契約が上手くいかなかった場合の保険にしては、カラヤンを煽っている感じ。カラヤンより21歳年下の若さは旺盛にDECCAの要望を熟していく。
表紙の絵画は、ウィーンのブルク公園前の美術史美術館( Kunsthistoriches Museum )に展示されているブリューケルの "農民の踊り"。今にも飛び出してきそうな、他の指揮者の持っていないようなマジャール人ケルテスのリズム感を表現しているように思わせる素敵なジャケットですね。古代から19世紀に至るヨーロッパ各地の美術品を収蔵している、この美術館の建設はドヴォルザークが活躍した時期に重なる。自然史博物館と対になりますが、レコード史博物館にはケルテスのすべてのレコードが居並ぶことでしょう。
然るに当時のデッカの迫力ある音調と、ケルテスの覇気に満ちた指揮ぶりがうまく結びついたみごとな仕上がりで有名。重厚にして豪快なドボルザークで、若々しさを感じさせるケルテス指揮下、ロンドン交響楽団がよく鳴っている。快感すら覚えます。この
8番 が
イギリス と呼ばれる所以が分る様な演奏です。日本ビクタープレス盤、ステレオ録音。
1963年2月ロンドン、キングズウェイ・ホールでのセッション録音。P&E: Arthur Lilley / Ray Minshull。優秀録音、名演、名盤