愛憎の悲劇《リゴレット》初演 ― 1851年3月11日
オペラ通によれば、ヴェルディの“4大オペラ”とは、初演順に《リゴレット》《トロヴァトーレ》《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》《アイーダ》となるらしい。もっとも、ヴェルディ・ファンは「28作全部が傑作じゃないか」と断言するが、ヴェルディの名声をオペラ史上不滅のものにしたのが、1851年のこの日、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で初演された17番目のオペラ《リゴレット》にほかならない。
オペラはアリアが命でもある。人々は、あるアリアを聴きたいがために劇場に通うといってもいい。《リゴレット》には世界一といってもいい素晴らしいテノール・アリアがある。そう、好色なマントヴァ公爵が、道化師リゴレットの宝物であるうつくしくじゅんしんなむすめじるだをてにいれて、「風に吹かれる羽のように、女は変わりやすいものだ」とうたう「女心の歌」だ。ちなみに、“ミスター・ハイC”と謳われたパヴァロッティが、「誰も寝てはならぬ」とともに十八番にした。
風の中の 羽のように いつも変わる 女心 涙こぼし 笑顔つくり うそをついて だますばかり(堀内敬三訳)
浅草オペラで評判を得たぐらいに、大正、昭和の時代劇映画に影響を感じる。テレビ時代劇になっても、旗本やご落胤がやりたい放題で、取り巻きがそれを擁護する。勧善懲悪の時代劇は、悪行は再び我が身に報いる結末になりますが、そこがヨーロッパは違う文化を持っている。
『女心の歌 La donna è mobile 』は、ヴェルディ作曲のオペラ・歌劇「リゴレット Rigoletto 」第3幕に登場する有名なカンツォーネ。
La donna è mobile
qual piuma al vento,
muta d'accento
e di pensiero.
女は移り気
風に舞う羽のように
言葉や考えを
すぐに変えてしまう
Sempre un amabile
leggiadro viso,
in pianto o in riso,
è mensognero.
いつも可愛らしく
愛らしい表情だが
涙も笑顔も
それは偽り
E'sempre misero
chi a lei s'affida,
chi le confida,
mal cauto il core!
いつもみじめなのは
女に心を許してしまう者
うかつにも女を信じてしまう
何と軽率な心よ!
Pur mai non sentesi
felice appieno
chi su quel seno,
non liba amore!
だが女の胸の中に
幸せを見い出せない者は
この世の愛を味わうことはできないのだ!
歌詞の内容は、女心の軽薄さを歌ったものだが、歌っているマントヴァ公爵その人の性格に他ならない。地位も富も女も欲しいままにする軽薄な男なのだが、なぜか惹かれてしまう。美声で歌われる、このアリアが美しく輝かしい音楽だから。耳を奪われ、心を奪われてしまう。
歌劇《リゴレット》は全3幕からなるオペラ。初演は1851年3月11日、ヴェネツィアの「不死鳥」フェニーチェ劇場にて。かつてない大成功を収めた初演の後、この作品はイタリア各地だけでなく、オーストリア、ハンガリー、ドイツ、ロシア、イギリス、スペイン、アメリカなど世界各地で次々に上演され、いずれも大絶賛を浴びた。
初演が終わった後、ヴェネツィア中のゴンドラ漕ぎがこの歌を口ずさんでいた、とか。そんな大げさなエピソードを納得して疑えないほどの、ヴェルディ中期の傑作とされる。
初演された、このヴェネツィア・フェニーチェ劇場は過去に2度の大きな火災で全焼しており、2003年12月14日に再建された。また、歌劇『椿姫』も初演されている。
音楽は聞くだけで良いとはいえなくて、音楽通に尋ねるのが良い。
俗に「椿姫」と、日常では話題にしますが、公式に語るときは《ラ・トラヴィアータ》が好い。というのも、「ラ・トラヴィアータ」とは、道を踏み外した女を意味する。主人公の高級娼婦の名はヴィオレッタ・ヴァレリーであり、彼女のトレードマークはスミレだ。それが何故か、椿姫というのは日本だけだ。椿姫の方が日本人にとっては通りが良いのか、それは原作では椿となっていて、馴染み深いからにすぎない。
ジャズが好きになるかどうかは、その出会いは大きい。今はスムース・ジャズなどと、ソウルのないジャズ・フレーバーな音楽がよく親しまれていますが。そもそも、クラシックを好きで聴くような素養がある相手だったら、ステファン・グラッペリや、アンドレ・プレヴィン、ヒューバート・ロウズなどいかがだろう。ジャズの演奏家は、わたしたちが日常的に関心をもつことに近いところにいる。耳馴染みのあるメロディー、ディズニー・ソングを今ではレジェンドと呼ばれる有名ミュージシャンが多く録音を残している。
クラシック音楽を知りたくなったら、上手な聴き手であることが良い。どんなことでも目を輝かせて、真剣に聴いてくれると、知っていること以上の話をしてしまっている。そして、その時の会話を反芻して自分自身新たな気づきを得られる。
マントヴァ公爵を歌うテノール歌手にとっても、このアリアは一世一代の見せ場であると同時に、この曲の出来がオペラ全体の評価を左右しかねない重要ナンバー。ところがこのアリアは、ストーリーには重要ではなく、まったく関わらない。
そんな一曲さえ、強烈に輝いている。ヴェルディの「オペラ作曲家」としての実力を味わえる、という点では、他のどの作品よりも《リゴレット》は抜きん出て素晴らしい。公爵が歌う「女心の歌」の輝かしさが、リゴレットの悲劇的な宿命を際立たせる。『リゴレット』というオペラの醍醐味は、まさにそこにある。