2021年02月06日 00:45
カラヤンは世界一上手いベルリン・フィルを「カラヤン・レガート」と呼ばれる滑らかにして颯爽とした棒さばきでまとめた指揮者と理解して良いでしょう。モダン・オーケストラの精度を最高に引き出してみせた、一つの時代の模範的演奏と言え、最も豪華なモーツァルトでしょう。英 DECCA での1959年録音でのオーケストラは、これだけベルリン・フィルではないですが、やはり 「世界一」のウィーン・フィルです。恐らくこれがカラヤンが最初に人気を得たモーツァルトではないでしょうか。カラヤンという指揮者は他の作曲家の作品では、初期ほど颯爽とテンポが速く、表現が控え目で溌剌としている印象です。ただ、このモーツァルトの音楽については古典派という作品の性質上か、時期によって大きくテンポ/ディナーミクを変えることはないように思います。
本盤のモーツァルト、ハイドンもテンポは案外速くはありません。後の演奏と比べると確かにレガートの度合いは幾分控え目で、その分爽やかに、ややダイナミックに感じます。第2楽章もどちらかと言うとあっさりです。「モーツァルトは非常に恐い存在だ。なぜならあまりにも自然だし、あまりにも神と一体化している。でもプロとして避けて通ることはできない」この言葉は、ある日本人ヴァイオリニストが言った思い。モーツァルトの音楽に真摯に取り組もうとすればするほど肉体的にも精神的にも奮い立つものがないと難儀だろう。そういった理由でモーツァルトを苦手としている音楽家は意外と多いのではないでしょうか。カラヤンだってそうだったということでしょう。
カラヤンに限らず、モーツァルトを鬼門としている音楽家は意外と多いのではないでしょうか。70年にEMIでベルリン・フィルと、75~77年にドイツ・グラモフォンで同じくベルリン・フィルと、モーツァルトの後期交響曲全集を録音しています。当時は「まだ5年しかたっていないのに、また出すのか」「ベームとウィーン・フィルへの対抗か」と騒がれたそうです。そのとおりですが、ベームが49曲録音して交響曲全集とした槌は踏まない。クレンペラーにも唯一だった第31番が有るように、録音する曲を絞り込んでいる。一般的に聴かれる曲の模範的演奏としてレコードに録音を残したかったカラヤンの信条に、それは合うし、演奏会のレパートリーとしてはモーツァルトの作品は全作品と比べると少ない。
EMIでのベルリン・フィルは木管や、金管の名手たちに充分に活躍させているし録音もオーケストラ全体を俯瞰して、木管、金管が浮き立つ音作りをしている。それはクレンペラーの録音ノウハウの延長に有るように思える。ドイツ・グラモフォンでのベルリン・フィルは精緻な響きだ。マルチ・マイクであることも『まだ5年』、されど5年である。ほとんどメンバーに入れ替えがなかっただろう近接した時期に同じ曲を録音できたのはカラヤンは楽しかっただろうし、半世紀近くなっても、わたし達も楽しい。カラヤンの最初のレコードはモーツァルトでしたが、SPレコード時代と変化がないのが『カラヤンのモーツァルト』でしょう。その点がベルリン・フィルだったからこそ、録音に気乗りしなかった根拠でしょう。
デジタル録音が盛んになった80年代は、83年に「ザビーネ・マイヤー事件」(クラリネット奏者ザビーネ・マイヤーの入団をめぐってカラヤンとベルリン・フィルが対立した事件)が起こり、カラヤンとベルリン・フィルの関係が一気に悪化します。同時にカラヤンはウィーン・フィルとの関係を強めていきますが、全集の録音にまでは至らなかったようです。晩年に交響曲は第29番と39番を発売。ディヴェルティメント第17番は、ベルリン市制750周年記念での演奏会でも何度もプログラムに入れていた通り、『カラヤンのラスト・モーツァルト』というに遠慮のないカラヤン晩年の美が熟こなれています。そこにはモーツァルトの音楽に真摯に取り組もうと姿が聴いて取れる。第17番と比べて、第15番はどうか。カラヤンがなぜ80年代に全集を録音していないかという理由に想像できるのは、78年に脳梗塞を起こし、80年代に入ってからは歩行の際の体のコントロールもおぼつかなくなっていた、年齢・肉体的な問題もあったと思います。カラヤンに限らず、モダン・オーケストラのシェフで、モーツァルトの交響曲を積極的に録音しなかった人の方が多いように思います。逆に、録音で積極的に取り上げたのは、ラインスドルフ、ベームの全集は別格としても、セル、クレンペラー、クリップス、スイトナーなどが思い浮かび、新しいところではレヴァインが思い浮かびます。
SPレコードの時代を経験に持つカラヤン世代および、それ以降のモダン・オーケストラの指揮者の内では、カラヤンは比較的録音を残した方ではないでしょうか?モーツァルトはピリオド楽器オーケストラのビジネス・ターゲットになり、小規模室内オーケストラではマリナーが全曲録音していますし、その後80年代では、あのホグウッドとシュレーダーによる70曲以上の交響曲全集を含めた膨大な全集も出ていますので、その時代にはモダン・オーケストラのモーツァルトの新録音は商業的にあまり成り立たなくなっていたのか知れません。
カラヤン本人が言ってた話では、『晩年になって、やっと自分のやりたい曲をレコーディングできるようになった…』そうです。結局、レコード会社やカラヤン本人の中で、モーツァルト交響曲の優先順位がそう高くは無かった、ショスタコーヴィチやシベリウスを根拠にモーツァルトはつまらない曲が少なくなかったのでしょう。年齢的体力的なこともあったでしょうし、もっと時間があれば、わたし達がレコードを買って聴きたい曲だったら、モノラル時代からウィーン・フィル、フィルハーモニア管弦楽団でアナログ録音した完成された『カラヤンのモーツァルト』より同時代の作曲家の新曲を録音していたでしょう。EMIのスタッフが、「マエストロの録音のうち、シューベルト(グレート)だけは売れないのですが…」というと、カラヤンは「シューベルトだけでなく、モーツァルトも駄目だよ!」と自嘲気味に語り、続けて「グレートは私も、フルトヴェングラーがいいと思う。」とまで述べたというエピソードが伝わる。
英DECCAのモーツァルトは、結構、売れたと思いますが、カラヤン自身は評判が芳しくないと自覚していたのでしょうね。そう思いながら眺める表紙は、ニヒルというより憂鬱そうにカラヤンの表情が思えます。英デッカによる鮮明な高音質録音も本盤の大きな魅力の一つ。1959年3月27~28日に、ウィーン・ゾフィエン・ザール、英DECCAスタジオでの録音となります。オーケストラはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団。一言で言えば、実に優雅な演奏である、ウィーン・フィルの弦の柔らかさ、そして木管の優美さが際立っています。また、DECCAのレコーディングも、優秀で音が非常に良い。
本盤はRCA発売ですが、制作は英DECCAのジョン・カルショウ、エンジニアはジェームス・ブラウン&ゴードン・パリーの二頭立てというショルティの指環制作陣がそのまま担当するという力の入れよう。英国DECCA社では、1959年にEMIと契約の切れたカラヤンと契約。1965年までカルショウが後世に伝えるに相応しいカラヤン&ウィーン・フィルの名盤をこの6年間で製作することになる。何れも全体に覇気が漲っていて、後のEMIやDGGのベルリン・フィル盤にはない魅力タップリのまったく聴いていてダレるような箇所がない、弦も管も美しく技巧的にも完成度は高い名盤量産。魅力を列挙しますと「カラヤンと当時関係良好だったウィーン・フィルとの録音」「カルショウお気に入りだったリング収録場所、ウィーンのソフィエンザールでの録音セッション」ウィーン・フィルの奏でる美音は豊麗にして精妙無比、まさに耽美の極みです。
このセッションと相前後して大票田のアメリカ合衆国をメインのターゲットとしてカラヤン&ウィーン・フィルは世界ツアーに旅立ち、大成功に終りデッカと蜜月関係にあった米RCA社からも金持ちターゲットのソリアシリーズで何枚か発売しているのは周知の事実です。本盤は、その中の一枚。DECCAは、このカラヤンでウィーン・フィルを完全掌握したと云えよう英DECCA社のウィーン・フィル制圧記念盤。なお、米国では LIVING STEREO LSC2535 として発売された。
1959年3月27~28日、ウィーン・ゾフィエン・ザール録音。
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