名曲名盤縁起 ポーカー・ゲームを描いたコミカルなバレエ音楽◉ストラヴィンスキー〜バレエ音楽《カルタ遊び》より第3ラウンド

武者がえし

2020年06月17日 11:10

“カメレオン”ストラヴィンスキー誕生 ― 1882年6月17日

 今日が誕生日のストラヴィンスキーは、「カメレオンのように作風を変えた」と評されるが、それは仕方がないことだ。彼が作曲を始めた20世紀前半は、ロマン主義というクラシックの背骨のような音楽が行き詰まった時代。ロシア生まれのストラヴィンスキーは世界を放浪しながら、器用な頭で自国と他の国とを結び付けるような創作を展開した。その結果、作風の大転換を何度も行って、70年近く作曲を続けた。
 ストラヴィンスキー初期の「印象主義的原始主義」の代表作で、全作品中でも最も有名な《春の祭典》は2月28日に紹介しているので、今日聴くのは、その後の「新古典主義時代」のバレエ音楽《カルタ遊び》にしよう。『カルタ遊び』(Jeu de Cartes)は、イーゴリ・ストラヴィンスキーが作曲した全3場からなるバレエ音楽。「3回勝負のバレエ」というサブタイトルが付けられている。ダンサーをトランプのカードに見立てて、ポーカーの3回勝負を踊りで描いた音楽だ。ジョーカーやパスの踊りなども加わり、全体を一層多彩にして行き、最後にはディーラーの手が現われ、全てのカードを持ち去られる。その「第3ラウンド」と題した音楽は古典に帰り学ぶという姿勢の表れか、レオ・ドリーブの『コッペリア』やロッシーニの『セビリアの理髪師』序曲、ヨハン・シュトラウスのワルツ、ベートーヴェンなどの作品がパロディ風に使われているのが面白い。
ストラヴィンスキーは、1929年にセルゲイ・ディアギレフの死没に伴いバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)が解散して以降、しばらくバレエ音楽の作曲から距離を置いていたが、アメリカン・バレエ団の支配人フェリックス・ウォーバーグ(Felix M. Warburg, ドイツ出身の銀行家)、およびリンカン・カースティンとジョージ・バランシンの依頼により作曲された。
オーケストラの総譜とピアノ譜の2種を1936年12月6日に完成させ、初演は1937年4月27日、作曲者の指揮とジョージ・バランシンの振り付けによるアメリカン・バレエ団によってニューヨークのメトロポリタン歌劇場で行われた。
レコードではストラヴィンスキー自身の指揮、クリーヴランド管弦楽団による1964年の録音がある。ただしこれが最初のものではなく、それ以前の1952年にヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、フィルハーモニア管弦楽団(EMI)による録音が存在する。

 20世紀最大の作曲家、イーゴル・ストラヴィンスキー。コロンビア・レコードがその威信をかけ、30年間に亘って制作し続けた自作自演録音の全貌を集大成。23曲が初CD化音源。
 1940年代~70年代のコロンビアのSPアルバムやLPパッケージの大きな特徴だった、カラフルで意匠を凝らしたジャケット・デザインは今でも見ごたえ十分です。なお、これらの音源は一部の有名曲を除いて、国内盤としてはCD化されていません。
 ただし、1930年代の仏コロンビアへのSP録音からの復刻音源4曲は含まれておりません。また既CD化音源に関しては、基本的に既存のリマスター音源が使用されており、その理由はオリジナル録音のプロデューサーだったジョン・マックルーアがリマスターを監修したものであるため。初CD化される23曲は、オリジナル・アナログ・マスターおよびメタル・パーツから24bit/96kHzテクノロジーによってリマスターされています。
 外側のパッケージは、LP時代の自作自演ボックスを踏襲し、アメリカの著名なカメラマン、リチャード・アヴェドン(1923-2004)による有名なストラヴィンスキーのポートレイト(もともと「春の祭典」ステレオ再録音の初出LP盤ジャケットに使用されたもの)がメインに使用されています。

Igor Stravinsky

メディアの寵児。前衛が求めることに的確に応え、革新をリードした。生涯にわたって演奏家として自作自演を残した。

(1882.6.18 〜 1971.4.6、ロシア〜アメリカ)

 現代の最も重要な作曲家のひとり。はじめ法律を学んだが、作曲をリムスキー=コルサコフから学んで作曲家になった。稀代の興行師ディアギレフに見出され、そのバレエ・リュッスの公演のために28歳で作曲した「火の鳥」が世間の注目を集め、つづく「ペトルーシュカ」、「春の祭典」によりわずか30歳で彼の名前は世界的になった。これらの作品は、従来の手法を否定し去ったもので、かつてない強烈で複雑なリズムと、色彩的でざん新な管弦楽法とはその後の現代作曲家たちに強い影響を与えた。革命後、作風は新古典主義をへて大きく変化した。

 上記以後の代表作には「兵士の物語」、「詩篇交響曲」、バレエ「オルフォイス」、「3楽章の交響曲」などがある。
 ストラヴィンスキーは1882年、ロシアのペテルブルクで生まれた。彼はリムスキー・コルサコフから作曲を学んでいたが、ディアギレフに注目され、彼から援助を受けた。その後、バレエ曲をいくつも作り、1913年には日本でも馴染みのある「春の祭典」でセンセーションを引き起こした。
 しかし第1次大戦が起こり、彼はスイスに亡命する。ここでストラヴィンスキーはそれまでの前衛的な作品から古典的な様式に方向転換した。しかし、その後彼はナチスドイツににらまれてしまい、アメリカへの亡命を余儀なくされてしまう。アメリカでは、ハーバード大学で教えた後、ハリウッドに移った。彼は敬虔なキリスト教徒で、作品にも宗教音楽が多く残っている。彼の作品は、常に多くの人々に新鮮な驚きを与えた。特に1950年から12音技法を採用し、後の作曲家への道を切り開いた。

イーゴリ・ストラヴィンスキー 略歴

1882年
ロシア、ペテルブルクに生まれる
1902年
リムスキー・コルサコフに学ぶ
1906年
いとこのエカチェリーナ・ノセンコと結婚
1914年
スイスに亡命
1917年
実家の土地が国家に没収される
1939年
アメリカに亡命
1959年
日本を訪問
1962年
ソ連訪問
1969年
ニューヨークで死去
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