レアで高価なレミントン盤◉ オークレール、ロイブナー指揮オーストリア響 ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲1番/コル・ニドライ
耳をくすぐるような魅惑的な演奏
ジャック・ティボーの寵愛も受けたミシェル・オークレールは1951年のアメリカ・ツアー、1958年にはソ連のツアーなどで成功を収めたのを頂点に世界中から引っ張りだこになりましたが、早々に寿引退してしまいます。なんとも潔いことだろう。その頃の録音は随分と力のこもった『女ティボー』と言われた通りの凄演だった。
入手しやすいのはフィリップス傘下のフォンタナ・レーベルに録音した一連のヴァイオリン協奏曲集で『
モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番と第5番』はよく聴かれているが、ここでのアピールに『女ティボー』と言われた云々はそぐわない。彼女の音楽の変化を聴いていないような評価は、しいてはティボーの音楽の誤解を誘引しやすい事態を招いている。彼女の経歴を一見するだけで、それは覗える。
「コル・ニドライ」は、元来チェロのための作品だが、ヴァイオリンで演奏されることでメロディーラインがより際立つことになった。1952年モノラル録音。ヴァイオリンの音は非常に生々しく捉えられており、聞き出した瞬間に耳が離せなくなる演奏でした。オーケストラも聴きやすい音です。
『女ティボー』を引き合いに出せるのは、レミントン盤だ。
ミシェル・オークレール (Michèle Auclair, 1924-2005) は、パリ音楽院でジュール・ブシューリの薫陶を受けたフランスのヴァイオリニスト。1924年の生まれ、1943年のロン=ティボー国際音楽コンクールのヴァイオリン部門の覇者である。ジャック・ティボーの寵愛も受け、ティボーの推薦でロシア人ヴァイオリン教師のボリス・カメンスキーにロシア流のテクニックを教わります。また1949年にはアメリカに留学してドイツ出身の名教師だったテオドール&アリス・バシュカス夫妻のレッスンも受けていました。
フランス、ロシア、アメリカの流儀を身に着けていったオークレールはコンクール歴も業績として上手く活用できたヴァイオリニストでした。1943年にロン=ティボー音楽コンクールで第1位を獲得した時には、記念レコードとしてティボーの指揮でヨーゼフ・ハイドンのヴァイオリン協奏曲ハ長調を録音。その後1945年のジュネーヴ国際音楽コンクールで第1位を獲り、まずはフランスを代表する新進気鋭のヴァイオリニストとしての名声を確実なものにしています。このジュネーヴ国際音楽コンクールは審査員の裁定如何では第一位を平気で空席にしてしまうコンクールだけにオークレールの優勝はヨーロッパ楽壇に、その名を轟かせるに十分なものでした。
演奏家としての現役時代にヨハン・ゼバスティアン・バッハから同時代の作品まで幅広くこなしていたオークレールは、そこそこの数の録音を残していますが、左手の故障を理由に演奏活動を停止してしまいます。1960年代半ばに作曲家のアントワーヌ・デュアメルと結婚したのが理由ですが、その清さ。彼女の活躍はヨーロッパ楽壇にその名を轟かせるに十分なものではありましたが、美貌や話題性での出逢いではなく自己表現の音楽として彼女の内包するものを受け入れた作曲家のアントワーヌ・デュアメルとの結婚を得て、それまでのジャック・ティボーからその才能を愛でられ一部のファンから呼ばれた「女ティボー」の渾名は必要なくなったのだ。
演奏活動から身を引いた後は母校であるパリ音楽院の教授に収まり、世界各国に出かけて教育活動に専念していました。1977年には来日してマスター・クラスを開いています。亡くなったのは2005年と最近のことです。
この『ブルッフのヴァイオリン協奏曲』は、3大ヴァイオリン協奏曲に数えられる筆頭だった。メニューインのレコーディングに始まり、当時の名ヴァイオリニストの名演奏で戦国活況の中、若き女流が世界を股にかけて人気ヴァイオリニストとしての名声を謳歌していた頃、アメリカのレミントン・レーベルに録音したもの。討ち死に覚悟でオーケストラに挑むような気迫が漲っています。思わず情緒的に走ってしまうのが女流奏者の予想できないところで気の許せないところですが、レコードで聴くことが出来ないので想像するしか無いですが普段のオークレールの演奏は演奏活動から手を引くほんの少し前の録音に聴くような堅牢な耳をくすぐるような魅惑的な、力の抜き加減を計算したものではなかったか。レミントン盤のオークレールを聴いていると、2009年公開のフランス映画『オーケストラ!』(原題: Le Concert)を思わせる光景と遭遇できる。通販レコード詳細・コンディション、価格
プロダクト
- 品番
- 34-25948
- 商品名
- US REMINGTON R199-127 ミシェル・オークレール ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲1番/コル・ニドライ
- レコード番号
- R199-127
- 作曲家
- マックス・ブルッフ
- 演奏者
- ミシェル・オークレール
- オーケストラ
- オーストリア交響楽団
- 指揮者
- ヴィルヘルム・ロイブナー
- 録音種別
- MONO
BLACK WITH GOLD LETTERING, MONO FLAT 1枚組(210g), Release 1952。
コンディション
- ジャケット状態
- EX
- レコード状態
- M-
- 製盤国
- US(アメリカ合衆国)盤
通販レコード
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レコードサウンド/カテゴリ指定
RemingtonレコードContinental RecordsおよびRemington Recordsの創立者ドン・ガボール(Donald Gabor)は1912年11月20日、ハンガリーで生まれた。ブダペスト・エレクトリカル・コンセルバトワールで学び、1938年、26歳の時アメリカに渡る。そこで北米最大の販路を持つ、RCA-Victorに週給$12で雇われた。
両親はハンガリーに留まったが、1944年、ドイツ軍がハンガリーに侵攻した時、ブダぺストを離れることを余儀なくされ、強制収容所で死亡した。
その第2次世界対戦が本格化、アメリカも影響が現れる頃、ガボールは、RCA-Victorに席を置いたまま、Continental Recordsを設立する。最も初期の録音は、1941-1942年、当時ニューヨークに住んでいたハンガリーの作曲家ベラ・バルトーク(Béla Bartók)の自宅でのピアノ録音だった。これらの録音は、Continentalレーベルで78 RPMフォーマット=SPレコードで発売。レコードの売上よりはるかに多くの契約料でバルトークをサポートした。
戦時中のシェラックの不足のため彼は、シェラックにvinyliteを25〜30%混ぜた"websterlite"を作り出したが、戦後はプラスチックの不足のため、および価格を安くするため、LPレコードの製造に、同様な代替品を考え出した。ガボールはマサチューセッツ州ウェブスターで古い工場を買い取り、レコード・プレス工場を起こします。1950年になって、33 RPM Long Playing recordの事業に参入するため、Remington Records Inc.を設立した。
初期のレミントンの録音はウィーンで行われました。1953年にはベルリンでも録音を開始。アメリカでは、シンシナティ交響楽団の録音に加えて、ヴァイオリニストのジョージ・エネスク、ピアニストのホルヘ・ボレット、ヴァイオリニストのオシー・レナルディなど、さまざまなクラシックアーティストのレコードを発売しました。
SPレコードで録音した、サラ・ヴォーン、ドン・バイアス(サックス)、コージー・コール(ドラムス)、ディジー・ガレスピーなどのジャズミュージシャンや、コンチネンタルの人気ミュージシャンとのレコーディングのほとんどをレミントンレーベルと彼が持っていた他のレーベル(マスターシール、プリマス、メリット、マスク、バッキンガム、ウェブスター、パリ)で再リリース。廉価レーベルとして1957年まで続きました。
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入手のメインルートは、英国とフランスのコレクターからですが、その膨大な在庫から厳選した1枚1枚を大切に扱い、専任のスタッフがオペラなどセット物含む登録商品全てを、英国 KEITH MONKS 社製マシンで洗浄し、当時の放送局グレードの機材で入念且つ客観的にグレーディングを行っております。明確な情報の中から「お客様には安心してお買い物して頂ける中古レコードショップ」をモットーに運営しております。
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