ローマ帝国への折り返しあなたがたはエルサレムだけでなく、全ユダヤとサマリア、さらに全世界にいたるまで私の証人となる。
《使徒言行録 1:12-14》 Acts of the Apostles 1:12-14
- それから、使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。
- 彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の階に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子のユダであった。
- 彼らは皆、女たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて、ひたすら祈りをしていた。
新約聖書の「使徒言行録」は、オリーブ山上で繰り広げられた「ルカの福音書」の後日談となる番外編。スター・ウォーズ・シリーズだと劇場版のサイドストリーとなる、スピンオフというところ。イエスの12使徒のすったもんだはここからはじまる。その前に、皆でイエスの言葉をまとめ上げることになる。
ヨルシカも盗作してるクラシック音楽のメインストリームからは異端のショパンとサティ
クラシック音楽の世界からは「異端児」とされ、一方で「現代音楽のルーツの1つ」と称されるエリック・サティ。1866年にフランスに生まれ、59歳でその生涯を閉じるまでに、後世へまで影響力を持つ数多くの音楽作品を残しました。1866年5月17日にフランス第二帝政時代にノルマンディーはカルヴァドス地方の港町オンフルールで生まれると、聖公会で洗礼を受ける。彼が4歳のときに父アルフレッド・サティ (Alfred Satie) が海運業を辞め、一家はパリに移住する。6歳になったとき、カトリック教会のパイプオルガンに魅せられて入り浸る。パリ音楽院に入学したのは13歳のとき。しかし「パリ音楽院で最も怠惰な生徒」。これが「音楽界の異端児」と呼ばれたエリック・サティの学生時代の評価でした。優等生とは程遠い生活を送っていたサティは、パリ音楽院を中退し、何を思ったのか軍隊へ志願入隊します。しかしその軍隊も1年で除隊となったサティ。1887年、22歳で足を踏み入れたのが、当時パリの中でも画家や詩人、ダンサーなどの若い芸術家たちが集い、自由な雰囲気をたたえていた街・モンマルトルでした。シャンソン酒場のピアノ弾きになっていました。そこで彼もまた、ジャポニズムの洗礼を浴びます。1889年に開催されたパリ万国博覧会で日本の歌謡に触れる。1889年(明治22年)の日本は、明治時代初期であり、歌謡の世界も大きく変化していく時期でした。この頃、西洋音楽が日本に入り始め、従来の民謡や民俗音楽と融合し、新たな歌謡文化が生まれていく過程にありました。日本の数え歌や、流行歌のレコードが万博で紹介されました。サティは、17世紀頃から300年近く続いていた西洋音楽の伝統「調性音楽(長調や短調など機能和声に基づいた音楽)」、いわゆる「ドレミファソラシド」のルールを壊した張本人と言われています。モーツァルトもベートーヴェンもワーグナーも「調性音楽」という枠の中で作曲していた西洋クラシック音楽の足かせにとらわれず、サティはそれをぶっちぎって、音楽の原始に立ち返り、グレゴリオ聖歌(9世紀頃に発祥したローマ・カトリックの宗教音楽)で使われていた音階「教会旋法」を、クラシック音楽に初めて持ち込み、「無調」といわれる音楽の先駆けになりました。そして、ドビュッシーやラヴェルが続き、シェーンベルクが「十二音技法」という無調音楽の作曲技法を確立し、そこから現代音楽が花開いていった。さらにそれはジャズや今のポッブスにもつながっている。つまりサティのマルチタレントがあって、伝統的なクラシック音楽と今の音楽をつないでいます。
サティの音楽と聖書の間に明確なつながりを示す直接的な証拠は少ないですが、サティの作品はしばしば聖書的なテーマやモチーフに触れ、それを独特な方法で表現しています。サティの音楽は、時として聖書的なテキストや物語を暗喩的に引用したり、聖書の精神的な要素を反映したりしていると考えられます。
サティの音楽と聖書的な要素
- 神秘主義と宗教的雰囲気:サティの音楽には、神秘的で宗教的な雰囲気を醸し出す部分が少なくありません。例えば、「Gymnopédies」は、静寂と瞑想的な雰囲気を帯び、霊的な雰囲気を醸し出します。
- 静寂とシンプルさ:サティの音楽は、しばしば静寂とシンプルな構成が特徴です。これは、聖書の言葉やメッセージのシンプルさ、普遍性、そして洗練されたものとは対照的な、精神的な奥行きを強調していると解釈できます。
- 諷刺と遊び心:サティの作品は、時として聖書的な要素をユーモラスに、または皮肉たっぷりに表現することもあります。例えば、動物をモチーフとした作品や、奇妙な題名を持つ作品は、聖書の物語や象徴的な意味を皮肉るかのように捉えることができます。
- 表現の多様性:サティは、宗教的なテーマやモチーフを様々な方法で表現しました。直接的な引用ではなく、音楽的な表現を通じて、聖書の精神的な側面を反映したと言えます。
サティの音楽を理解するための視点
サティの音楽を理解する際には、以下の点に注目すると良いでしょう。- 歴史的背景:サティが生きた時代は、社会、文化、宗教が大きな変化を経験した時代でした。サティの音楽は、そのような時代の変化の中で、新たな芸術表現の可能性を模索したと言えます。
- 個人的な背景:サティは、宗教や芸術への興味、そして社会への批判意識を持ち、それらを音楽に表現しました。
- 作品の解釈:サティの音楽は、非常に多様な解釈が可能です。それぞれの作品を、様々な角度から分析することで、より深い理解を得ることができるでしょう。
- まとめサティの音楽と聖書の間には、直接的なつながりを示す明確な証拠は少ないですが、サティの作品は聖書的なテーマやモチーフに触れ、それを独特な方法で表現しています。サティの音楽を理解する際には、歴史的背景、個人的背景、そして作品の多様な解釈を考慮することが重要です。