衆議院解散、大阿蘇が荒ぶる姿で全熊本県民に教えようとしていることは

武者がえし

2014年11月30日 23:45

熊襲征伐をごぞんじでしょうか。
今では小学校でも副読本などで、どれくらい熊本の歴史を学ぶ機会が有るのだろう。手塚治虫の漫画『火の鳥』で読んだことがある人も少なくないでしょう。
沖縄で琉球王国の歴史が語り継がれていない。
とか、アイヌの伝統的な暮らしを知ってほしいと今年も催しがあったりしましたけれども、神話の時代の話だと言わずに熊本の太古の話も風化してしまってはいけないことでしょう。

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古事記や日本書紀に熊襲と書かれている、熊本南部から鹿児島の一帯には独特の文化が有りました。
そこにヤマト政権の力が及ぶことになって、景行天皇が訪れ山鹿灯籠まつりなどの謂れになるわけですよね。熊本市内には今もあちこちにそうした足跡を見つけることが出来ます。
しかし、太古の熊本人は疑いのない信頼で迎え入れたのかな。

最近急に他県から熊本に流入した人たちに、本来の熊本らしさをかき回されている気がしています。
熊本の歴史って、現在NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』での徳川時代に加藤清正が熊本城を建ててからや、西南の役が主で古代を語られたり、関心を持たれることが稀なのには焦れたさを覚えます。





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