熊本地震復興の応援をしています ― 「きらクラ」で鑑賞会の活動を読んでもらいました。

武者がえし

2018年03月04日 21:00

熊本地震から1年10ヶ月。現在も4万人余りが仮設住宅の生活ですが、仮設住宅の入居は原則2年間で、ことし5月までに入居期限を迎えます。先は見えていませんが、レコード鑑賞会で応援してきました。集会場の設備も充分でない場所でも、蓄音機は電気の必要が無いので大活躍。それが見直される効果となったのでしょうか、解体された蔵から蓄音機が出てくることもあったようで、同様のイベントが流行っています。ラジオの音楽番組も聞く人が増えて、きらクラも話題になります。ふかわさんと真理さんの、おしゃべりがとても程よい心地らしいです。そして、クラシック音楽に詳しい方が随分といるんですねと、クラシック音楽への興味をもつ人が増えてきて活動に励みとなっています。

 2月14日に送信したきらクラDONへの回答。「第251回、きらクラDONはシューマン作曲、ピアノ協奏曲から第1楽章冒頭ですね。グリーグやベートーヴェンのピアノ協奏曲と、聴き比べるのに最適。ウルトラセブンの最終回で使われたことでも有名ですが、そこに興味が行くのは、ふかわさんから上の世代かな。ウルトラセブンは今年で50年ですものね。」と続いていたメールから、熊本地震のその後の現状、活動を紹介するように読まれた。
 ひな祭りのあとは、お彼岸を織り込んだ話題を書こうかと考えていたところ。番組の最後のコーナーの前に読まれてびっくり。昨年8月に、「放送日当日は蓄音器コンサートで … 」と書いていたのを考慮していただいたのか、15時半頃に読まれたのも、蓄音機コンサートの終了予定時間でもあったからか。
ベートーヴェンの「悲愴ソナタ」をクラウディオ・アラウの録音で聴いていただきたく思い筆を執りました。とはいえ、放送日当日は蓄音器コンサートでワルター指揮の田園交響曲を解説している最中なのですが。熊本地震から住むところがまだ目処が立たない家族も多く、石塔が倒れたままのお墓参りは痛々しい光景でした。しかし、遠方から知り合いが訪ねてきてくれる機会ともなり、ピアノを目にした子供が弾いてくれた「エリーゼの為に」は新鮮でした。レコードの評価というものは、専門家でない、日常的にクラシック音楽を聴かない人たちにも、少なからず審美眼といえるものがあるようで。評論家と違って、目を細めて楽しそうに聞いているのがクラウディオ・アラウの録音。ベートーヴェンなのに、ショパンのようなタッチがゆとりを感じさせるのでしょうか。束の間、まだまだ片付かない家周りの気掛かりから開放させてくれました。アラウが80歳になって再録音した『悲愴ソナタ』の第一楽章だけでも、皆さんにも聞いていただいて、気持ちを共有したいと思いました。

 そして今日3月4日にきらクラDONで演奏されたモーツァルトのピアノ・ソナタが、クラウディオ・アラウの録音でした。この短調で書かれていることで、モーツァルトが母親の死をうちに秘めていると解釈して、感情が溢れでた演奏も多いものですが、アラウは作曲の背景を考慮して情感に溺れた演奏になっていない。それがなんともモーツァルト個人の感情ではなく、音そのものが持つ抒情になっている。
 熊本地震を経験した人は、それまでの価値観とは違った何かを感じ取っているというから、アラウの演奏に何かを感じ取れるように思料します。

番組でメッセージが読まれました。放送を聞き逃した方は、朝の再放送でお聞きください。番組終わりの30分前ほどです。 http://amadeusclassics.otemo-yan.net/e1063597.html

熊本ふるまち・五福蓄音器を楽しむ会さんの投稿 2018年3月4日(日)

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