ニューイヤーコンサートのレコードは1ヶ月待たずに発売される。ウィリー・ボスコフスキーとウィーン・フィルは毎年、新春にウィンナ・ワルツのレコードを発売するようになるが、当初は前もって録音しておいて新年に発売を合わせるスタイルだった。初めて正真正銘の新年の演奏会がレコードになったのが、「
GB DECCA 147D1-2 ウィリー・ボスコフスキー ニューイヤー・コンサート」だ。ニューイヤーコンサートの曲目の選定は、ヨハン・シュトラウス協会会長やシュトラウス研究家など「シュトラウス一家の権威」が集まって行われている。そこで決まった提案を指揮者とウィーン・フィルに送付し、この両者で検討される。この際、取り上げられる回数の多いポピュラーな曲と、なじみの薄い曲とが出来るだけ交互になるよう吟味されるという。
必ず毎年、シュトラウス・ファミリーの新曲 ― 楽友協会に楽譜はあるが、ウィーン・フィルがまだ演奏したことのなかった曲 ― を数曲含めているが、数年前からはシュトラウス周辺の作曲家も演奏されるようになった。特別番組では説明されなかったので、かつてベートーヴェンの曲はニューイヤー・コンサートに登場していたのかしら。のちに「英雄交響曲」の主題になるテーマが既に登場している、ベートーヴェンのコントルダンスから抜粋されて演奏された。ニューイヤー・コンサートで恒例のバレエがこの曲で登場して、ベートーヴェンの厳しいイメージを爽やかにしたのが面白かった。ツィーラーの序曲でスタートした今年、他にスッペの「軽騎兵」が登場。「北国のヨハン・シュトラウス」の異名をとるデンマークの作曲家、ハンス・クリスチャン・ルンビーのギャロップが登場した。
今日という日は、フランスの作曲家・エルネスト・ショーソン、ロシア出身のアメリカのバイオリニスト・ミッシャ・エルマン、イタリアの映画監督・フェデリコ・フェリーニの誕生日。ポピュラー・ミュージックに目を向けると、10CCのボーカリストでギタリストのエリック・スチュワート、キッスのギタリスト・ポール・スタンレーの誕生日で、ビートルズのアメリカでのデビュー・アルバム『ミート・ザ・ビートルズ』が1964年に発売された。
誕生日と命日が同じ作曲家ルクー ― 1870,1894年1月20日
演奏家、作曲家で夭逝して記憶に残っていることは多い。早世した演奏家、作曲家は円熟味が無いが、モーツァルトやシューベルトが22歳の時に書いた作品を円熟していないと批判するのと同じである。彼らの音楽は最初のものから完成された芸術であり、天才にとって年齢が無意味であることを示す証である。円熟味を味わいたいと思う気持ちは満たされないが、“スペインのモーツァルト”と呼ばれたアリアーガは、20歳になる前に早逝。『もう10年生きていたら、と惜しまれる天才の“絶筆”』として、《交響曲 ニ短調》を1月17日の命日に紹介しましたが、誕生日と命日が同じになることは、そうは無い。長命であれば、妙に律儀な人だったねぇ、と珍しがられるだろうが、それが僅か24歳の天才肌の音楽家となれば、“神様の意志”は人々の恨みを買ったかもしれない。夭逝したベルギーの作曲家、ギヨーム・ルクーのことである。
パリ音楽院で学んだルクーは、当時の大作曲家フランク門下の俊才だった。フランク門下や彼を信奉する者たちをフランキストと呼ばれるほどだった。この師は同じベルギー出身の若者の才能を愛し、やはり同国の作曲家でヴァイオリンの巨匠だったイザイも、ルクーの《ヴァイオリン・ソナタ ト長調》を盛んに演奏して紹介に努めた。しかし、ルクーは腸チフスに罹って、呆気なくこの世を去ってしまう。
現在、唯一演奏される彼のヴァイオリン・ソナタは、3楽章から成る情熱的で高貴さもたたえた音楽。「トレ・ラン(きわめて遅く)」と指示された中間の緩徐楽章は、瞑想的な詩情に溢れた調べが、生と死という人間の宿命を思い起こさせる。