ファッショナブルな冒険心 男の代わりに美女が犯人に挑む。
夜間28度あった気温も、明るい日差しの日中でも22度に下がって過ごしやすい午後。
男が窓辺でうたた寝をしている。放り出した両足共にギプスがあるが痛々しい表情ではなく幸せそうだ。
椅子にいる男の脇のベッド。本来ならそこで看病されているはずだろうに投げ出された美しい裸の足がそこにはあった。
足の持ち主はくつろいでいる金髪美女。
女の手には『ヒマラヤを越えて』と題した分厚い本。冒険書だろうか。
読み聞かせていたらしい。
男が眠り込んだ様子を眺めて、本を持ち帰る。
めくる仕草に、やはりファッション雑誌が楽しいのだ。
穏やかでくつろいだアパート裏の人間模様。
作曲中のピアノの音、仲間を呼んでの夜のパーティがうるさいと苦情を言われていた作曲家のレコードの音は大きくアパートの裏庭に響いているけど、今は誰もそれを迷惑と感じていない。
それも大切な空間のオブジェだと楽しんでいる表情がみんなにある。
ダンスの練習をしていたスタイルの良い女の部屋には、軍服を着た小柄な男が帰ってきた。
女のおっぱいのあたりに顔が来るぐらいのアンバランスだけど、
「冷蔵庫に何かあるかい?腹ぺこだよ」戦争が終わって復員してきたところだろうか。
手負いの主人公は戦争で傷ついた男たちのシンボル。
ヒッチコックのサスペンス映画『裏窓』は昭和29年夏にアメリカ公開、日本は翌30年のお正月映画でした。
この映画の中で、アパートの一角にダンスを踊っている女性が下着姿でサスペンスを和ませる。
エッチさが艶かしさにならずに、ユーモアになっている。
何人か厳しそうな男が彼女の部屋にいるシーンが有るのですが、最後に兵役を終えた小柄な男が帰ってくる。
この歓迎ぶりで、彼女が待ち焦がれていたことが伝わる。
戦争から戻ってきた男たちは、傷を負いくたびれきっていることだろう。主人公は映画冒頭で片足に負傷する。
そんな彼にかわって、グレース・ケリーや世話役のおばさんが犯罪捜査をする。
おてんば的な冒険ではなく、傷を負った男の代わりに美女が犯人に挑む。
これは美女たちが、と言うのが良いだろう。
で、ヒッチコックの映画では監督である彼の登場しているシーンが楽しみです。映画『裏窓』で彼は、アパートの上層に住む作曲家がピアノを弾いている隣で時計のネジを巻いています。ネジを巻くという行為に、わたしはシンボリックなものを感じるのです。
ピアノを弾いている作曲家も、生粋のアメリカ人ではないと感じるのです。
映画の最後にプラス仕立てのドーナツ盤のレコードがポータブルで再生されて周囲を和ませますが、アメリカで成功するための苦心をしたことでしょう。
ヒッチコックの映画ではバーナード・ハーマンが作曲しているのが有名ですが、フランツ・ワックスマンがヒッチコック作品以外でも一般大衆向けの映画に多く作曲しています。(
つづく)