火はまた昇り、輝く。◉熊本地震から4ヶ月。もう4ヶ月。嵐の前のなんとやらとも良く言うが、静かな一日がくれて、朝が来る。

武者がえし

2016年08月17日 12:00

 『発災』という言葉を今日、初めて聞いた。『熊本地震』から4ヶ月。でも、『益城、木山断層大地震』が最もではないだろうか。
 熊本市の幹線道路も被害があったことは確かですが、益城町、熊本市という行政の境界で起こった大災害です。特別措置で地域対策を気づかなかったことが、対処に差が出ている。熊本市に寄せられる復興支援金は、熊本城の再建と地域観光の復興に注がれるだろう。

 本震前の大きな余震で停電、断水は意外なほど回復は早かったが、本震で壊滅的に。最初に復旧した電力は、九州電力の働きが際立っていた。そして、ケーブルを電柱間に垂れるように貼った。一見大雑把で危険に見えるだろうが、後の大きな余震を予測しての事だった。ピンと張っているとまた断線するからです。
 都市ガスは最後になったけど、プロパンガス会社の活動も賞賛できる。自社周辺の道路が危険な中、一軒一軒を直して回られた。頭が垂れる。
 水道は、復旧後上下水道管を念入りに調査、わたしの自宅前では2時間から3時間ほどかけて調べていた。尋ねると、端から端までファイバースコープで覗いて割れや漏れがないか調べているという返事。とてもかっこ良かった。

 本震から4か月たちましたから。熊本市福祉課の課長さんが繰り返していた言葉通り。4か月ありましたから、熊本市の対策はもう十分整っていますよね。次の大規模地震ではライフラインは途絶えないと「本震から4か月たちましたから」の言葉を信じます。
 昨日の『熊本地震から4ヶ月、そのキーワードで押し通されて、自宅で避難◉熊本地震避難所閉鎖、翌日の記。』に寄せられたコメントを記憶します。

『4ヶ月の魔法でも発動したかのように、心の中にどんどんギャップが広がっているように思います。魔法にかかった人は、取り残されている方がおかしいとでもいう感覚?

日常は大事だけど、戻れない状況があるわけで…日常に戻りたいがために、あの時の感覚を忘れることのないようにしたいです。忘れてしまえば後世の人々の役に立てませんから。

などと、4ヶ月目についての動き見ながら感じる今日この頃です。』

『秋津小学校は当初、学校の先生たちが全力を注いでくださいました。これはほんとうに感謝この上ないことでした。区役所管轄になり、当初、「職員数に余裕がなく、日常業務に支障が出るのも問題なので、人材を十分に避けない。」といった説明があった。「避難所は避難者の方々で共同運用するよう願いたい」の理由にであった。『支援物資は届いているので、取りに行ってもらえれば』といいのけた職員もいる。しかし、これが本音で、やがて魔法をかけはじめる。きっと、職員に指導がされたのだろう。傍から見ててもわかる時間勤務。横浜からや東北からのボランティアさんの影に隠れていて気が付きにくかった。それは他県からのボランティアさんは、交代で必ず誰かが起きて避難所を見守ってくれていた。一方、職員さんは気が付きにくいところで、避難者と同じに寝てる。むしろ、わたしの方が職員さんより先に起きていた日が多い。今の段階では、その様子の写真は公開しないでおくことにした。
市長、職員。『市民の協力で復興に頑張ろう』と呼びかけているけど、自腹を犠牲にした人がいるだろうか。
市は何も予想される準備がなく、神戸や東北の震災の記録をマニュアルに動きを開始。でも、それが熊本地震にそのまま当てはまるだろうか。行政機能が麻痺するような広範の被害ではなかったのだから。それに合わせた方向転換が必要でなかったのか。
さて、今後。災害がないとは思われない。わたしは逆に問い返したい。『もう4ヶ月ありましたから、次の大震災での対策はもう十分出来てますよね。』と。』

『はい。当初は本当に余裕がなく必死でしたね。でも、余裕が生まれると。少しずつ陰に隠れる(置き去りにされる)部分が出てきて、日常とか復興という表現の魔法がかけられていく。

まるで、大渋滞の中、流れに乗れない車は邪魔物扱いされ、追い立てられているみたいな。

もし行政が、傷ついた人を思いやる余裕のない今の状況で、もし日常が戻ってきた…なんて感じていたとしたら、なんと貧しい日常なのでしょう。情けないことです。(まずは形から…という人もいるかもしれませんが)

次の備え…本当にその通りです。地震だけじゃなく、水害も、台風への備えも。』

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