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2019年10月04日

愛と狂気のヴァイオリニスト パガニーニ〜100人の大作曲家たち[52]

私にとって作曲というのは、君が考えるような楽なものではない。 芸術における私が目指したものとは、“多様さの中での完璧な統一”である。 これは、達成するのがきわめて困難な目標であり、長い時間と熟慮が必要な仕事である。

Niccolo Paganini

(1782.10.27〜1840.5.27、イタリア)
Niccolo Paganini 19世紀前半のヨーロッパヴァイオリン界に君臨したヴァイオリンの名手で、その卓絶した技巧は、リスト、シューマン、ブラームスらロマン派の作曲家に大きな影響を与えた。5歳の時マンドリンを、7歳でヴァイオリンを習い始め、11歳の公開演奏会で大成功をおさめた。17歳の頃イタリア諸都市を演奏旅行して回り、華々しく名をあげた。彼はヴィオッティ以来のヴァイオリン奏法に左手のピチカート、二重奏法、フラジオレット、スタッカートなどの技法を加え、近代奏法の数々のテクニックを確立した。
 24曲の「カプリッチョ」(奇想曲)は、それらの技法を十分に盛り込んだ難曲として知られている。また彼の書いた2曲の「ヴァイオリン協奏曲」は名人技巧主義タイプの協奏曲中の傑作である。


20世紀に「ヴァイオリニストの王」と称されたヤッシャ・ハイフェッツは、パガニーニの作品を全く演奏、録音しようとしなかった。

 パガニーニがヴァイオリンを弾き始めたのは5歳の頃からで13歳になると学ぶべきものがなくなったといわれ、その頃から自作の練習曲で練習していた。それら練習曲はヴァイオリン演奏の新技法、特殊技法を駆使したものと言われる。そのヴァイオリン演奏のあまりの上手さに、「パガニーニの演奏技術は、悪魔に魂を売り渡した代償として手に入れたものだ」と噂されたという。そのため彼の出演する演奏会の聴衆には、本気で十字を切る者や、本当にパガニーニの足が地に着いているか確かめるため彼の足元ばかり見る者もいたという。
 また演奏会にて、弾いている最中にヴァイオリンの弦が切れていき、最後にはG弦しか残っていなかったのに、それ一本で曲を弾ききったと言う逸話もある。しかしながら、弦が頻繁に高いほうから都合よく順に切れていったこと、一番低いG弦は決して切れなかったことなどから、パガニーニ本人がパフォーマンスの一環として伸ばして鋭くした爪で演奏中に弦をわざと切っていたと言われている。目つきが鋭く、また病弱だったためにやせていて肌が浅黒かった。その容姿も悪魔の伝説に貢献した。
 青年時代には恋愛と賭博を好み、ナポレオン1世の妹のエリーズ・ボナパルトとポーリーヌ・ボナパルトと浮名を流した。賭博では、ばくちに大負けして演奏会の前日に商売道具のヴァイオリンを巻き上げられたことがある。興行師としての才能もあり、木靴に弦を張って楽器として演奏しひともうけした後、金に困った女性を助けたなどの逸話もある。そうした彼も、高い評価や人気を得るにつれ演奏会のチケット代は高額を要求するようになった。やがて偽造チケットも多く出回ったため、自ら会場の入口に立ち、チケットをチェックするほどの自身の利益や金銭に執着する徹底ぶりであったと言われる。
 パガニーニは作曲家としても活躍しヴァイオリン曲を残したが、極めて速いパッセージのダブルストップ・左手のピチカート・フラジョレット奏法など、どれも高度な技術を必要とする難曲として知られている。パガニーニ自身は技術が他人に知られるのを好まなかったため、生前はほとんど自作を出版せず自分で楽譜の管理をしていた。その徹底ぶりは凄まじいもので、自らの演奏会の伴奏を担当するオーケストラにすらパート譜を配るのは演奏会の数日前 ― 時には数時間前で、演奏会までの数日間練習させて本番で伴奏を弾かせた後、配ったパート譜はすべて回収したというほどである。しかも、オーケストラの練習ではパガニーニ自身はソロを弾かなかったため、楽団員ですら本番に初めてパガニーニ本人の弾くソロ・パートを聞くことができたという。このようにパガニーニ自身が楽譜を一切外に公開しなかったことに加えて、死の直前に楽譜をほとんど焼却処分してしまった上、彼の死後に残っていた楽譜も遺族がほぼ売却したため楽譜が散逸してしまい大部分の作品は廃絶してしまった。

パガニーニを聴いて、「天使の声を聞いた」と感激したシューベルト

 シューベルトはパガニーニがウィーンに来た時、家財道具を売り払ってまで高いチケットを ― 友人の分まで奢って買ってパガニーニの演奏 ― 「鐘のロンド」を持つヴァイオリン協奏曲を聞き、「天使の声を聞いた」と感激した。金銭に関して執着しないシューベルトらしい逸話である。この台詞は正確には「アダージョでは天使の声が聞こえたよ」と言ったものである。派手な超絶技巧よりもイタリアオペラに近い音色の美しさをとらえるシューベルトの鋭い感性も覗える。
 シューベルトが亡くなったのは、1828年11月のことですが、その年の春から夏にかけてウィーンの街は、「パガニーニ」一色で染まります。3月29日、パガニーニの最初の演奏会では観客は決して多くはありませんでした。しかし彼の見事な演奏技術、魔法のような演奏、神秘的でカリスマ性のある、いわば「悪魔的な」彼のパーソナリティが急激に大衆を惹きつけたようです。ドレスデンの「夕刊新聞」のウィーン駐在員は、彼の与えた衝撃をこう書いています。
最も素晴らしい、最も並々ならぬ音楽現象、おそらくは一千年に一度しか戻って来ない地平線上の彗星が、今、私達の城壁の中にいる。それがパガニーニだ。 …… 街にはひとつの声しか聞こえない。「パガニーニを聞け!」という叫び声しか。この男はすでに5回のコンサートをやり、少なくとも2万8,000フローリンKMの収益だ。…… 彼と比べると、他の演奏家たちは皆彼の影の中に入ってしまうといっても過言ではない。
大衆は、完全に陶酔し …… パガニーニ風帽子、パガニーニ風ドレス、パガニーニ風ショール、パガニーニ風ブーツ、パガニーニ風香水、パガニーニ風手袋などなど、ショーウィンドウは、パガニーニ風で一杯だった。
 パガニーニの妙技は街中の話題でした。彼のポートレートはいたる所に飾ってありましたし、彼の胸像は、ウィーンの伊達男達のステッキの頭を飾っていました。優美なお皿も、パガニーニと命名されました。そして皇帝は、「宮廷のヴィルトゥオーソ」と言う称号を彼に授与しました。聴衆は彼のヴィルトゥオーソな演奏に夢中になり、呪縛されるがままであったようです。繰り返される演奏会は毎回売切れでしたので、ウィーンは当初彼のコンサート・ツアーの一通過点という予定だったのですが、余りの評判にその滞在は、4ヶ月、14公演に延長されました。




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Posted by 武者がえし at 05:45│Comments(0)100人の大作曲家
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