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2020年03月11日

名曲名盤縁起 黄金の美声が映えるテノール・アリアの超人気作 ヴェルディ〜歌劇《リゴレット》より「女心の歌」

愛憎の悲劇《リゴレット》初演 ― 1851年3月11日

GB DEC SET542-4 ルチアーノ・パヴァロッティ/ジョーン… オペラ通によれば、ヴェルディの“4大オペラ”とは、初演順に《リゴレット》《トロヴァトーレ》《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》《アイーダ》となるらしい。もっとも、ヴェルディ・ファンは「28作全部が傑作じゃないか」と断言するが、ヴェルディの名声をオペラ史上不滅のものにしたのが、1851年のこの日、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で初演された17番目のオペラ《リゴレット》にほかならない。
 オペラはアリアが命でもある。人々は、あるアリアを聴きたいがために劇場に通うといってもいい。《リゴレット》には世界一といってもいい素晴らしいテノール・アリアがある。そう、好色なマントヴァ公爵が、道化師リゴレットの宝物であるうつくしくじゅんしんなむすめじるだをてにいれて、「風に吹かれる羽のように、女は変わりやすいものだ」とうたう「女心の歌」だ。ちなみに、“ミスター・ハイC”と謳われたパヴァロッティが、「誰も寝てはならぬ」とともに十八番にした。

風の中の 羽のように いつも変わる 女心 涙こぼし 笑顔つくり うそをついて だますばかり(堀内敬三訳)

 浅草オペラで評判を得たぐらいに、大正、昭和の時代劇映画に影響を感じる。テレビ時代劇になっても、旗本やご落胤がやりたい放題で、取り巻きがそれを擁護する。勧善懲悪の時代劇は、悪行は再び我が身に報いる結末になりますが、そこがヨーロッパは違う文化を持っている。

『女心の歌 La donna è mobile 』は、ヴェルディ作曲のオペラ・歌劇「リゴレット Rigoletto 」第3幕に登場する有名なカンツォーネ。

La donna è mobile
qual piuma al vento,
muta d'accento
e di pensiero.

女は移り気
風に舞う羽のように
言葉や考えを
すぐに変えてしまう

Sempre un amabile
leggiadro viso,
in pianto o in riso,
è mensognero.

いつも可愛らしく
愛らしい表情だが
涙も笑顔も
それは偽り

E'sempre misero
chi a lei s'affida,
chi le confida,
mal cauto il core!

いつもみじめなのは
女に心を許してしまう者
うかつにも女を信じてしまう
何と軽率な心よ!

Pur mai non sentesi
felice appieno
chi su quel seno,
non liba amore!

だが女の胸の中に
幸せを見い出せない者は
この世の愛を味わうことはできないのだ!

 歌詞の内容は、女心の軽薄さを歌ったものだが、歌っているマントヴァ公爵その人の性格に他ならない。地位も富も女も欲しいままにする軽薄な男なのだが、なぜか惹かれてしまう。美声で歌われる、このアリアが美しく輝かしい音楽だから。耳を奪われ、心を奪われてしまう。

 歌劇《リゴレット》は全3幕からなるオペラ。初演は1851年3月11日、ヴェネツィアの「不死鳥」フェニーチェ劇場にて。かつてない大成功を収めた初演の後、この作品はイタリア各地だけでなく、オーストリア、ハンガリー、ドイツ、ロシア、イギリス、スペイン、アメリカなど世界各地で次々に上演され、いずれも大絶賛を浴びた。
 初演が終わった後、ヴェネツィア中のゴンドラ漕ぎがこの歌を口ずさんでいた、とか。そんな大げさなエピソードを納得して疑えないほどの、ヴェルディ中期の傑作とされる。
 初演された、このヴェネツィア・フェニーチェ劇場は過去に2度の大きな火災で全焼しており、2003年12月14日に再建された。また、歌劇『椿姫』も初演されている。

音楽は聞くだけで良いとはいえなくて、音楽通に尋ねるのが良い。

 俗に「椿姫」と、日常では話題にしますが、公式に語るときは《ラ・トラヴィアータ》が好い。というのも、「ラ・トラヴィアータ」とは、道を踏み外した女を意味する。主人公の高級娼婦の名はヴィオレッタ・ヴァレリーであり、彼女のトレードマークはスミレだ。それが何故か、椿姫というのは日本だけだ。椿姫の方が日本人にとっては通りが良いのか、それは原作では椿となっていて、馴染み深いからにすぎない。

 ジャズが好きになるかどうかは、その出会いは大きい。今はスムース・ジャズなどと、ソウルのないジャズ・フレーバーな音楽がよく親しまれていますが。そもそも、クラシックを好きで聴くような素養がある相手だったら、ステファン・グラッペリや、アンドレ・プレヴィン、ヒューバート・ロウズなどいかがだろう。ジャズの演奏家は、わたしたちが日常的に関心をもつことに近いところにいる。耳馴染みのあるメロディー、ディズニー・ソングを今ではレジェンドと呼ばれる有名ミュージシャンが多く録音を残している。
 クラシック音楽を知りたくなったら、上手な聴き手であることが良い。どんなことでも目を輝かせて、真剣に聴いてくれると、知っていること以上の話をしてしまっている。そして、その時の会話を反芻して自分自身新たな気づきを得られる。

FR VSM FALP207-209 レナート・チェリーニ ヴェルデ… マントヴァ公爵を歌うテノール歌手にとっても、このアリアは一世一代の見せ場であると同時に、この曲の出来がオペラ全体の評価を左右しかねない重要ナンバー。ところがこのアリアは、ストーリーには重要ではなく、まったく関わらない。
 そんな一曲さえ、強烈に輝いている。ヴェルディの「オペラ作曲家」としての実力を味わえる、という点では、他のどの作品よりも《リゴレット》は抜きん出て素晴らしい。公爵が歌う「女心の歌」の輝かしさが、リゴレットの悲劇的な宿命を際立たせる。『リゴレット』というオペラの醍醐味は、まさにそこにある。
歌劇《リゴレット》〜愛憎の悲劇 舞台は16世紀イタリア、マントヴァ。リゴレットは好色なマントヴァ公爵に仕える道化。
 このリゴレットには、一人娘ジルダがいる。彼は娘を大切に思うあまり、教会以外には外出させたくなかった。そして、ジルダは確かに父親の言いつけを守っているのだが、実は教会で一目惚れをした若者がいた。皮肉にも、この若者こそマントヴァ公爵。彼は、貧しい学生と偽ってやってきた。公爵はジルダのことを愛してなどいないのだが、すっかり心を許してしまうジルダ。
 ところがそこにやって来た、公爵の廷臣たちはジルダをリゴレットの情婦だと勘違いし、闇に乗じてさらっていく。かねてから自分のモノにしたいと狙っていた娘を、廷臣たちが攫って来たことを知った公爵はご満悦。一方リゴレットは、最愛の娘が公爵の手に落ちたことを知り怒りに燃え、殺し屋スパラフチーレに公爵の殺害を依頼する。ところが妹マッダレーナの懇願に負け、スパラフチーレは一計をめぐらし公爵のかわりに真夜中に居酒屋にやってきた客を殺して布袋にいれ、公爵の死体と偽ってリゴレットに渡す。
 それが恐ろしいことに、この死体がジルダだったのだ。だまされていたことを知ってもなお公爵を思うジルダは、自分が身代わりとなって殺されることを選んだのである。ジルダの強い思慕の思いと、自分が一番愛しているものを大切にし過ぎた余りのリゴレットの心痛は涙を禁じ得ない。

名曲名盤縁起 黄金の美声が映えるテノール・アリアの超人気作 ヴェルディ〜歌劇《リゴレット》より「女心の歌」

Giuseppe Verdi

ヴェルディの活動はイタリア・オペラに変革をもたらし、現代に至る最も重要な人物と評される。

(1813.10.10 〜 1901.1.27、イタリア)

Giuseppe Verdi イタリア歌劇最大の作曲家。パルマ地方の魯んこーれというかんそんのちいさなやどやのむすことしてうまれ、15歳で作曲をはじめ、18歳のときすすめられてミラノ音楽学校の給費生を受験したが、年齢が多すぎたため落第し、スカラ座のチェンバリストのラヴィナから作曲とピアノそれにソルフェージュを学んだ。26歳のときスカラ座で上演された最初の歌劇「オベルト」を皮切りに25曲の歌劇を書いた。最初はなかなか認められず、彼の名声が確立したのは、33歳に書いた「リゴレット」、40歳の「トロヴァトーレ」と「椿姫」などが相次いで発表されてからである。

 彼は大器晩成型で、それからさらに49歳で「運命の力」、54歳で「ドン・カルロ」、58歳で「アイーダ」、73歳で「オテロ」そしてなんと79歳で「ファルスタッフ」を完成している。

イタリア統一運動への影響

 ジュゼッペ・ヴェルディの幼少時代は、多くの謎に包まれている。その大きな理由の1つに、彼の故郷であるロンコレ村はとても小さな村で、偉人の誕生の理由のために多くの逸話や証言が作られたことから事実の証拠が曖昧だからである。ともあれ、彼の生家は貧しい宿屋をしていたが、村の名士から援助を受け、そのおかげで彼は音楽の勉強をすることができたと言われている。
 ヴェルディは当時、最先端の考えを持っていたわけでも、特別奇人だったわけでもなく、古くからの伝統的な、家、家族、名誉、国といったものを大切にしていた。そのため、彼の音楽は当時、政治的に苦しい立場であったイタリア人に、愛国心を抱かせるものであったと言われている。ヴェルディを語るとき、一般的に彼が無教養な音楽家であったと言われる。例えば、三拍子は決まりきった形で、ロッシーニには行進曲風な強調を馬鹿にされもした。彼はフーガなどの対位法などはマスターしていたが、後に「オーオケストレーションは誰も私に教えてくれませんでした」と述べているように、技術は無かった。しかし、後にはマーラーなども彼のオーケストレーションから学ぶことになるレベルまで自分の力だけで身に着けていったのである。そして、彼のオペラは世界中に伝わり、19世紀末にはブラジルでも演奏されていたほど有名になったのである。
 後年、ヴェルディは「国民の父」と呼ばれた。しかしこれは、彼のオペラが国威を発揚させたためではなく、キリスト教の倫理や理性では御せないイタリア人の情を表現したためと解釈される。歌劇『ナブッコ』第3幕のコーラス曲「行け、我が想いよ( Va, pensiero )」は第2のイタリア国歌とまで言われるが、ヘブライ人奴隷が同胞の救いを神に感謝し歌う「賛美歌( Immenso Jehova )」に感銘した観客は追放される奴隷の悲嘆に触れて国家主義的熱狂にかられ、アンコールを求めたのが「行け、我が想いよ」であった。当時の政府から厳しく禁止されていたアンコールを求めた行動は非常に意味深いものへ進展する。その頃は、ピウス9世が政治犯釈放の恩赦を下したことから、1846年夏に始まった「ヴェルディの音楽が、イタリアの国家主義的な政治活動と連動したと確認される事象」の拡大期にあったことは偶然とはいえないが、ヴェルディの歌劇がイタリア人に新しい観点をもたせたことは確かだ。

ジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ、略歴

1813年
イタリアにて生まれる
1823年
オルガニストに就任
1825年
バレッツィの支援で音楽レッスンを受ける
1832年
ミラノ音楽院に落ち、ラヴィーニャから個人的に学ぶ
1836年
音楽教師になる、マルゲリータと結婚
1839年
ミラノへ旅立つ




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