「クラシック音楽専科ガイド」
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2025年05月23日

妹婿は澁澤榮一の孫、戦後日本の音楽教育者としてその真価を示した男は傑物だった◆彼こそ小澤征爾の師、5月23日は生誕日

渋沢栄一

Hideo Saitou 1902.5.23-1974.9.18

斎藤秀雄が生まれた日(1902年5月23日)。日本の音楽界に欠かせない存在である斎藤は、戦時下教育直前に学びを修め、チェリストとして活動をスタートし、指揮者、教育者として戦後日本のクラシック音楽の世界を支え、技術の向上に貢献した。チェロ奏者としてN響の首席奏者を務め、指揮者としては門下から小澤征爾、秋山和慶、飯守泰次郎をはじめ多くの音楽家を輩出したことで知られる。さらには『指揮法教程』(56年)という、いわゆる〝斎藤メソッド〟を確立し、今もなお世界中の指揮学習者のバイブルとなっている。また桐朋学園の音楽教育へとつながる音楽教室の開設、現在でも小澤ら弟子たちによって作られたサイトウ・キネン・オーケストラの活動からも、彼の果たした役割の大きさがよく分かる。
DE DGG 2530 309 小澤征爾 バーンスタイン・シンフォニック・ダンス/ルッソ・3つの小品
この『指揮法教程』は1956年に音楽之友社から出版され瞬く間に売れ、レナード・バーンスタインから賞賛されるなど、齋藤の遺した最も大きな仕事の一つである。ただし、その内容は「齋藤の教えそのものではなく、一般向けに内容を平易化しているために誤った理解がなされていること」を弟子の伊吹新一は力説している。
宮内省にいたチェロ通の職員からチェロの手ほどきを受けはじめる、のは16歳のとき。二十歳になる1922年には当時作曲家、指揮者として有名だった近衛秀麿に随伴して、ドイツに留学。1930年、ベルリンに留学し、ベルリン高等音楽院(Musikhochschule)でエマーヌエル・フォイアーマンに師事する。
途中、1927年に帰国しNHK交響楽団の前身である新交響楽団に首席チェロ奏者として入団。翌1928年の第30回定期では指揮者としてデビュー。同年にはチェリストとしてもデビューを果たし、1929年に初のリサイタルを開催しているが、遠山一行は「むかし齋藤さんがチェロをひくのをきいたある作曲家が、あれは西洋音楽の音ではなくて日本の太鼓やつづみの音にちかいといったのを覚えている。齋藤さんの分析のなかにある音楽と彼の耳に鳴っている音のリアリティの間には、本当にめまいがするような深い断絶があった」と述べている。
また、齋藤は松竹交響楽団や東京交響楽団などの首席指揮者を務め、戦時中に、井口基成とベートーヴェンの「皇帝」、巌本真理とベートーヴェンのロマンス第1番、第2番を録音している。指揮者としても「あれは、ワルツのお化けだった。ワルツ特有のリズムのくせを、極度に強調し、理づめでつくり上げた結果、演奏からはあらゆるゆとりとよろこびと ― 要するにヴィーンのワルツにあるすべての感覚的精神的美質がグロテスクなまでに歪曲されてしまっていた」(齋藤によるヨハン・シュトラウス作品の指揮に対する吉田秀和の評言)などと評された。
終戦後、ソリストとしては活動しなくなるが、巌本や森正らの室内楽活動に手を貸す傍ら、1948年には井口基成、伊藤武雄、吉田秀和らと「子供のための音楽教室」を開設。これが後の桐朋学園の一連の音楽系学科開設につながっていく。

ヴィンテージレコードの紹介DE DGG 2530 309 小澤征爾 バーンスタイン・シンフォニック・ダンス/ルッソ・3つの小品

  • DE DGG 2530 309 小澤征爾 バーンスタイン・シンフォニック・ダンス/ルッソ・3つの小品
  • DE DGG 2530 309 小澤征爾 バーンスタイン・シンフォニック・ダンス/ルッソ・3つの小品
小澤の師匠であるバーンスタインの代表曲、組曲「『ウエスト・サイド物語』からのシンフォニック・ダンス」を若き小澤が熱演しています。珍しい、ルッソの「ブルースバンドとオーケストラのための3つの小品」もぜひ一度お聴きください。
門下生だった堤剛によると、齋藤は喫煙中毒者であり、指導中にくわえ煙草でチェロを弾くことも多く、愛器を修理に出した際に胴体から数年分の灰が出てきたことがある。灰を除いたチェロの音については、良くなったという生徒もいれば、味を失ったと評する生徒もいたという。
また、山本直純によると、ニコチンが切れると苛立って教え子に当たり散らし、譜面台を蹴り倒して楽譜を散乱させることもあったという。門下生の小澤征爾は高校時代、齋藤から指揮棒で叩かれたりスコアを投げつけられたりするなどの体罰を日常的に受けていたため、あまりのストレスから自宅の本箱のガラス扉を拳で殴りつけ、大怪我をしたこともある。
宮沢賢治のセロ弾きのゴーシュの中に出てくる管弦楽団の厳しい楽長(指揮者)のモデルは、ちょうど留学から帰ったばかりで厳しい指導をしていた新交響楽団での齋藤の姿から考えたのではないか、という説がある。

小澤征爾の四人の師匠

1951年に齋藤秀雄の指揮教室に入門して来たガッチリとした体格の青年が、小澤征爾だった。ピアニスト志望だった小澤青年は、豊増昇にピアノを習う一方で、中学ではラグビー部に所属していた。雨の試合でスクラムで右手人差し指を骨折したためピアノの道を断念したところだった。
「ボクは先生の親戚の者ですが、指揮を勉強したいんです」
「われわれが来年桐朋学園という音楽学校を新しく作るから、それまで待ってそこに入りなさい」
1952年春、出来たての桐朋女子高校音楽科(指揮科)に一期生として入学した。男子生徒はわずか4人で、指揮科の生徒は征爾一人だった。
齋藤の指揮のレッスンはものすごくきびしく、一緒にレッスンを受けていた山本直純と二人でどなられて、齋藤の家の窓から裸足で逃げてきたこともあったらしい。指揮棒でたたかれたり、分厚いスコア(オーケストラの総譜)を投げつけられたりするのは日常茶飯事だったようで、ページがバラバラにとれてしまったスコアを、征爾はあわててかき集めて家まで持ち帰ってきては、バラバラのページをまたセロテープで順番にくっつけていた、と小澤征爾の実弟でありエッセイストの小澤幹雄の『やわらかな兄 征爾』(光文社刊)にある。

ヴィンテージレコードの紹介JP 東芝EMI TS7013 豊増昇 ハイドン ピアノソナタ/第1巻 第1-4番

豊増昇の名前を知っている音楽愛好家はどれくらいいるのだろうか。豊増昇(1912-75) は1936年に、ベルリンに留学し、ベルリン高等音楽大学でレオ・シロタ、リストの高弟フレデリック・ラモンドに師事し、日本人として初めてベルリン・フィルの定期に出演した日本ピアノ界の草分けの1人。小澤征爾、園田高広、舘野泉のピアノの師としても知られています。少年時代の小澤征爾が、ラグビーで指を骨折し、ピアノを諦めようとした時、「指揮という道もあるよ」と言って新しい道を拓いてくれたのは豊増昇だった。また戦後と現代の日本で活躍している、あるいは活躍したピアニストの多く ― 日本のピアノ黎明期を支えた園田高弘、舘野泉が、豊増昇の薫陶を受けている。作曲家中田喜直の恩師でもあったり戦前戦後の日本の音楽界を陰から支えた名伯楽・豊増昇。あちこちの人生録や、テレビドラマで名前は出てくる存在ながら、残された録音は少なく、そのバッハ、ベートーヴェンの正統的解釈と演奏はドイツ人を驚嘆させたとして有名ながら、音で聴くことが珍しいもの。
  • JP 東芝EMI TS7013 豊増昇 ハイドン ピアノソナタ/第1巻 第1-4番
  • 戦前から戦後にかけて日本のみならずヨーロッパ各地でベートーヴェンやバッハの演奏で聴衆を魅了し、ドイツなどの批評家達も絶賛したという。1956年、日本人ピアニスト初のソリストとしてベルリン・フィルの定期演奏会に招かれたことからもその技量は本盤からも窺い知れます。
昭和44年4月リリース。50歳代後半の録音。ドイツの演奏伝統を踏まえながら、卓越したテクニックをと粒のそろったタッチを駆使して鋭い感性のひらめきを見せる彼のピアノ演奏は、まさに〝天才肌〟そのもの。日本人離れした演奏に驚かされます。他に録音が残っていれば、残らず聴いてみたい。2019年秋、吉祥寺のコミュニティセンターでイヴ・アンリさんのコンサートが行われた際、ひっそりとそのスペースに置かれていたベヒシュタインのE型フルコンサートが豊増昇が使用していた楽器を寄贈したピアノだったこと。フレームを塗り直したのか製造番号はなくなっていたものの、支柱のケース番号から1928年ごろの楽器とわかり、豊増が1930年代にドイツに留学していた頃に入手したピアノではなかったかと話題にもなりました。
齋藤は教え子に常々「10回やったら10回全部できなかったら、音楽じゃない。もし演奏会のときできなかったら、どうするんだっ」と説いていたが、齋藤自身は極端な上がり症であり、本番の演奏会で指揮する時は練習の時と全く異なり「先入」という指揮法をやたらに多用した。意識的にやっていたのかと思った小澤征爾から「先生、今日は『先入』ばかりでしたね」と言われると、齋藤は逆上して「そんなこと言うな!俺は先入なんかやるつもりはないけど、そうなるんだ!」と癇癪を起こした。
小澤征爾の四人の師匠
そのころは、桐朋学園の学生オーケストラも出来たばかりで人手がなく、小澤ひとりでみんなの譜面台や椅子の手配から、パート譜の印刷まで一切をやっていた。オーケストラの雑用でヘトヘトになり、自分の指揮の勉強がじゅうぶん出来ないまま、齋藤の家にレッスンに行くと、不勉強だといってどなりつけられるという具合で、半ば絶望的になった征爾が、家に帰ってきて、本箱のガラス扉を拳で殴りつけ、ガラスをメチャメチャに割って大怪我をしたエピソードを残した。
その時の傷跡を見るたびに、小澤征爾は悔しさを噛み締めただろう。その後の武者修行で、カラヤン、バーンスタイン、ミュンシュと師に恵まれた小澤の頑張りの肥やしになったはずである。
齋藤秀雄の最も著名な愛弟子である小澤征爾は、対談(新潮文庫『音楽』)の中で「普通の先生は、ピラミッドの一番上が目立つからそこを教えたがる。」と前置きにして、4人の師の第1番に齋藤をあげて、こう語っている。「あの先生は、底辺の生徒を教えたがった。教育者として一番おもしろいのは、できないやつが、少しでもできるようになることだって」
教育者が名声を得たければ優秀な弟子を育てればよい。しかし、齋藤秀雄はそうではなかった。優秀でない生徒にこそ、最も真剣に力を入れて教える ― それは教育の目的を生徒自身に置いていることの(あかし)である。彼の情熱的で献身的な指導のもとからは、大勢の音楽家が育った。小澤ら代表的な弟子は、その裾野の広さを象徴する存在なのだ。
齋藤秀雄門下の弟子たちは、毎年夏に集まって数週間の公演を行う。サイトウ・キネン・オーケストラと名づけられたその楽団は世界最高とも言われる絶妙のアンサンブルを誇る。彼らの演奏の前後の談笑や、リハーサルでは共通の師、齊藤の話しが出る。そこで小澤と同じ初期の門下生は、厳しい先生だったと悔しさを夫々が噛み締めたときもあったようだが、齋藤の門下生100名以上、25年間に渡っていることもあって、厳しい先生ではあったが若い門下生が齋藤先生に抱いた印象は違うようだ。師匠の偉大さは弟子によって証明されるものだ。

ヴィンテージレコードの紹介DE DGG 2530 823 小澤征爾 ファリャ・バレエ音楽「三角帽子」

華麗な演奏効果に満ちた『三角帽子』。
  • DE DGG 2530 823 小澤征爾 ファリャ・バレエ音楽「三角帽子」
  • スペイン近代の作曲家ファリャの代表作として知られるバレエ音楽『三角帽子』。カスタネットを加えた情熱的なリズムや鮮やかで色彩的な音色を駆使した音楽は、いかにもスペインならではのもの。小澤の熱気溢れる指揮に加え、ベルガンサのメゾ・ソプラノ独唱が演奏に花を添え、聴く者をスペインの世界へと誘います。
1976年10月ボストン、シンフォニー・ホール録音 。



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