ダビデの賛歌朝が来る度に、あなたに向かって身を整え御名を愛します。

《詩編 5:1-13》 Psalms 5:1-13
- 聖歌隊の指揮者によって笛にあわせてうたわせたダビデの歌
- 主よ、私の言葉に耳を傾けてください。私のつぶやきを聞き分けてください。
- 私の叫びに心を向けてください。わが王、わが神よ。私はあなたに祈っています。
- 主よ、朝に私の声を聞いてください。朝が来る度に、あなたに向かって身を整え待ち望みます。
- あなたは不正を喜ぶ神ではなく、あなたのもとに悪がとどまることはありません。
- 驕る者は、あなたの前に立つことはできません。あなたは、悪事を働く者すべてを憎み
- 偽りを語る者を滅ぼします。血を流す者と欺く者を主は忌み嫌います。
- しかし私は、豊かな慈しみによって、あなたの家に入り、あなたを畏れ敬いつつ、聖なる宮にひれ伏します。
- 主よ、義によって導いてください。私に敵対する者がいます。私の前にあなたの道をまっすぐにしてください。
- 彼らの口は確かなことを語らず、その腹は腐っています。舌は滑らかでも、喉は開いた墓。
- 神よ、彼らに罪を負わせてください。その謀のために、倒れますように。度重なる背きのゆえに、彼らを追い出してください。彼らはあなたに逆らったのです。
- あなたのもとに逃れるすべての者が喜びとこしえに喜び歌いますように。あなたは彼らを覆い、御名を愛する者があなたを喜び祝いますように。
- 主よ、あなたは正しき者を祝福し、御旨の盾で守ってくださいます。
これはダビデの賛歌です。主に私が呼びかけます。私とは、ダビデのことです。私は主の側にいます。これに対して、敵対する者がいます。私に敵対する者がいて、それは主に逆らう者でもある、という構図があります。ダビデの心は、まっすぐな主の道に従うから悪ではない、という確信があるのです。それは「御名を愛する」ということです。そうすれば「正しき者」とされ、祝福されることでしょう。それが高慢になると、あの「敵」に、いつでもなり得るのです。
5/19/1954アメリカの作曲家、チャールズ・アイヴスが没した日。
イェール大学で作曲を学ぶも、保険会社に務めながら日曜作曲家として活動。存命中に彼の作品はなかなか理解されることが少なかったが、グスタフ・マーラーらは彼の音楽を支持していた。晩年から死後、アメリカの芸術音楽のパイオニアとしての評価が高まっていった。
アイヴズの音楽は、それ自体がアメリカ音楽史である
ハロルド・チャールズ・ショーンバーグいっさいの迷うこと無く書きたいように作曲したのがチャールズ・アイヴズです。アイヴズは音楽で生計を立てる必要がないので、聴衆の受けも、出版社の意向も、演奏者たちの顔色も、自分の芸術的評価も、自分の生活のことも特に気にする必要がありませんでした。
不協和音のために飢えるのはまっぴらご免だ
チャールズ・アイヴズは1874年にコネティカット州ダンベリーに生まれ。1954年ニューヨークに没したアメリカの革新的作曲家です。南北戦争時に軍楽隊でバンドマスターを務めた父親に初期の音楽教育を受けている。後にイェール大学で作曲を学び、交響曲第1番を在学中に創作するも、卒業後に音楽関係に進むことをせず、〝自分の理想の音楽を追究したい〟、〝不協和音のために飢えるのはまっぴらご免だ〟と言ってニューヨーク州の保険会社に入社、単身者用マンションに他の男性数人と共に同居生活をおくる。1899年から代理店チャールズ・H・レイモンド (Charles H. Raymond & Co.) に勤めるが、1907年に同社が倒産。10月にアメリカ合衆国で発生した金融恐慌の煽りでした。友人のジュリアン・マイリック (Julian W. Myrick) とともに自らの保険会社アイヴズ・アンド・マイリック (Ives & Myrick) を設立し、1930年に引退するまで副社長を勤め上げました。
完全に自己完結した世界で何も気にせず自由に作曲
彼のすべての作品はそうした彼の多忙なビジネスライフの間に作曲されたものです。マーラーと同じ日曜作曲家。余暇の合間に「趣味」で作曲を続け、結婚するまで、地元ダンベリーやニューヘイブン、ニュージャージー州ブルームフィールド、ニューヨーク市で教会オルガニストを務めた。保険業において目覚しい成功を収める傍ら、交響曲、室内楽曲、ピアノ曲、歌曲などおびただしい量の創作を続けた。
アイヴズは、シェーンベルクよりも早く無調音楽に足を踏み入れ、ポリリズム、多調、微分音をシェーンベルク、ストラヴィンスキーやバルトーク、ミヨー、ハーバに先んじて、実験的に早く取り入れました。
アメリカ初の前衛音楽の作曲家と言えますが、彼が残したほとんどの作品は長く忘れ去られ、ようやく、約半世紀の後にその真価が再発見されました。
音楽を評価するうえで忌まわしい言葉の一つが「素敵」 (nice) であり、自分の耳で聴き、自分の言葉で語れ。
不協和音を実験し、しだいに多用していくアイヴズの傾向が、当時の音楽界の権威に好ましくないと受け取られたのである。主要な管弦楽曲におけるリズムの複雑さは演奏に当たって困難をともない、そのため、作曲から何十年以上も経ってさえ、アイヴズの管弦楽曲を演奏しようとする意欲が殺がれてきた。「アイヴズ問題の核心」と呼んで、大指揮者レオポルド・ストコフスキーが取り組んだ「交響曲第4番」の全曲初演(1965)したときはあまりに複雑すぎて副指揮者が二人必要だった。全曲初演から10年後くらいに小澤征爾がこれを一人で完璧に振って録音してしまいます。超高度な指揮技術と完璧なソルフェージュ能力がないとできない。オーケストラの能力も10年でだいぶ変わっただろうが、そこはストコフスキーと彼のオーケストラです。ストコフスキーほどの〝アメリカ・ナンバーワン〟の指揮者が一人では触れない高度な作品といったセンセーションがあったほうが大衆に、アイヴズを印象付けることができたのです。
一方で、アイヴズを小澤征爾が振りやすかった要素もわかるのです、彼の作品は前衛的なものですが、その音楽はその前衛性に反するかのように、作品にはさまざまなアメリカの民俗音楽(讃美歌、愛国歌、民謡)の要素が含まれます。作風は少年期に親しんだ讃美歌、愛国歌、民謡などが基盤にあり、どこか懐かしく優しく、温かい独自のヒューマニズムに満ちています。
アイヴズの初期の支持者にヘンリー・カウエルやエリオット・カーター、グスタフ・マーラーなどがいる。また1940年代には、CBS交響楽団の首席指揮者バーナード・ハーマンがアイヴズ作品の普及にとり組み、この間にアイヴズ作品の擁護者となった。現在では、アイヴズ作品は、ヨーロッパでは定期的にプログラムに組まれている。
そして音楽業界のビジネス面でも、アイヴズの素人的ともいえる、職業的作曲家として経済的に全く成り立たない、こうした非常に大胆な態度は、アメリカの作曲界の革新性を一気に押し上げることに貢献している。