「クラシック音楽専科ガイド」
オリジナル稀少盤、アナログ・レコード優秀録音盤のアナログサウンド!
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1960年代、70年代、80年代までのクラシック音楽のアナログLPレコードの、欧米で発売された当時の『オリジナル盤』初版盤、レアなレコードぞろい。優秀録音と評価の高い録音をメインにコンディションの良いものを案内しています。
2012年01月20日
別れの曲 ショパンは幸せな再会への願をかけた
ショパンの《別れの曲》は、別れの悲しみ以上に焦がれるようなあこがれの思いの込もった音楽です。「一生のうち二度とこんなに美しい旋律を見つけることはできないでしょう」と胸を張れるほどの一時の感傷と違った力強さがあります。
残された時間で 何が出来るだろう。
先週の土曜日から、大学センター試験が始まった。中学、高校の受験がこれに続くわけですね。そうして3月にはみんなで卒業式。
4月から新年度の会社では異動の発表もあって、送別会など日程が組まれるのでしょう。
こうしたイヴェントはいつ在るのか、それまでどのくらいの時間なのかが測れるものです。突然やってくる人生のイヴェントとは、また違うものです。
人生には出会いがあり、そして別れがあります。すべての物事には始まりがあり、そして必ず終わりがあります。
物事に終わりが来ることを想像することはつらいものですが、だからこそ、今のこの時に感謝して生きることが出来るのでしょう。
卒業式、送別会の日まで
残された時間で 想い出を残しておきたいね。
中村紘子さんは誰もが良く知っているし、彼女の録音したショパンは素晴らしい。わたしの聴いてきた多くのショパンのレコードの中でも、ショパンの楽しさ美しさ、色彩豊かなことを最初に根付かせてくれました。
ショパンのレコードを良く聴くようになったきっかけの1枚が、中村紘子さんの『即興曲集』だった。ハウスカレーの音楽で耳にしたことが親しさを感じたことでもあるし、テレビドラマやCMで使われているクラシック音楽を見つける習慣もその頃から始まっています。
ショパンコンクールで振り袖でピアノ演奏をしたことも有名ですね。中村紘子さんのショパンのCDは若いクラシック音楽ファンには食指が動く存在ではなくなっているようだけれども、聴くべきところは大いにある。どうも近頃は『ノクターン』全曲とかって、出版譜の順番で全曲録音をしていないと、ありがたがられないようですね。
さて、ショパンの『別れの曲』。練習曲集作品10の第3曲で、これは単独で演奏される機会は多い。全体は12曲で出来ています。バッハの平均率に習ってショパンが作曲、1829年にいくつかが書かれていてパリに出てから残りも書かれて曲集にまとまったものです。運指の練習用であることは楽譜に指定書きがあるところがあるのですが、たとえば第5番変ト長調には《黒鍵》という名前通り右手の主旋律は黒鍵だけで奏でられます。曲のクライマックスで1音だけ白鍵が印象的に響きます。それがショパンの狙いでもあったのでしょうが、本人もあざといと思っていたのかショパン自身はあまり高く評価していなかったようで、クララ・ヴィークがこの曲を演奏したことについて、「黒鍵のために書かれたということを意識して聴かないとあまり面白くないこのような曲を、なぜわざわざ選んだのか」という意味のコメントを残しています。(1839年4月25日のフォンタナへの手紙)
でもリサイタルでは演奏映えがする曲ですから、ショパンが楽譜に書いた以上に音符を加えて現在では演奏機会が多いようです。
作品10の《練習曲集》は第12曲《革命》ハ短調で、ダーン、ダーンと砲撃のような印象深い音が流れを中断させるように終わります。レコードの録音としては作品25は全曲録音していても、作品10の録音をしていないピアニストも居て理由は分からないのですが、わたしの推測では《革命》の終わり方にあるのでは無いかとも思います。
ワルシャワ音楽院を首席で卒業したのは19歳。1830年、二十歳のショパンはウィーンへ出発します。この曲は、彼が演奏旅行でポーランドを離れていた際、革命が失敗し、故郷のワルシャワが陥落したとの報をきいて作曲したものといわれています。この時期のショパンの精神状態が普通でなかったことは彼の日記からもうかがえます。
当然です。
ウィーンでピアニストとして評判を得て、また帰ろうと思っていたところに二度と戻れなくなったのです。故郷には恋人のコンスタンツィアを残してきたままなのです。
しかもポーランドが革命を起こしたことを知ったウィーン市民のショパンへの風当たりは、手のひらを返したような仕打ちでした。ショパンはウィーンをあきらめ、パリに向かいます。そこでリスト、ベルリオーズと逢ったことは幸いでした。
《別れの曲》の題名で親しまれていますが、これは日本だけのことで欧米では《グリーフ》。彼の弟子の一人、アドルフ・グートマンとのレッスンでこの曲を教えていたとき、ショパンは「ああ、私の故国よ!」と泣き叫んだという。そこからこの愛称がついているようで、ショパンはまた、「一生のうち二度とこんなに美しい旋律を見つけることはできないでしょう」といった程、彼が生まれたポーランドへの愛が高い質で顕現されており、校舎やクラスメート、或いは同僚にもショパンの抱いた気持ちを投じたいものです。
1934年のドイツ映画が『別れの曲』の邦題で、映画の中で使用されていたことに因むとされがちですが、映画がヒットしたことで、ラジオで『映画《別れの曲》の音楽です』と紹介されて、この曲のレコードが流れた期間がずいぶんとそのまま引きずってきているようです。
映画『別れの曲』で使用された演奏は、エミール・フォン・ザウアーのピアノ。ザウアーは1928年12月14日にODEONに《別れの曲》を《幻想即興曲》と共に録音しています。5分近い、じっくりと歌い込んだ演奏です。ショパンは、この3番の練習曲は4番を一緒に演奏されることを望んでいます。そのショパンの意図を汲んでか、『ピアノ名曲集』や『ショパン名曲集』と言ったレコードでは練習曲第3番と第4番が対で納められているのが常でした。演奏も3番の後に4番を引くことでひとまとまりとなるように弾いている録音も多いですね。3番だけで完結するような演奏と違って、そういう録音だと《別れの曲》だけではダンスを半ばでやめてしまっているような感じです。

先週の土曜日から、大学センター試験が始まった。中学、高校の受験がこれに続くわけですね。そうして3月にはみんなで卒業式。
4月から新年度の会社では異動の発表もあって、送別会など日程が組まれるのでしょう。
こうしたイヴェントはいつ在るのか、それまでどのくらいの時間なのかが測れるものです。突然やってくる人生のイヴェントとは、また違うものです。
人生には出会いがあり、そして別れがあります。すべての物事には始まりがあり、そして必ず終わりがあります。
物事に終わりが来ることを想像することはつらいものですが、だからこそ、今のこの時に感謝して生きることが出来るのでしょう。
卒業式、送別会の日まで
残された時間で 想い出を残しておきたいね。
中村紘子さんは誰もが良く知っているし、彼女の録音したショパンは素晴らしい。わたしの聴いてきた多くのショパンのレコードの中でも、ショパンの楽しさ美しさ、色彩豊かなことを最初に根付かせてくれました。
ショパンのレコードを良く聴くようになったきっかけの1枚が、中村紘子さんの『即興曲集』だった。ハウスカレーの音楽で耳にしたことが親しさを感じたことでもあるし、テレビドラマやCMで使われているクラシック音楽を見つける習慣もその頃から始まっています。
ショパンコンクールで振り袖でピアノ演奏をしたことも有名ですね。中村紘子さんのショパンのCDは若いクラシック音楽ファンには食指が動く存在ではなくなっているようだけれども、聴くべきところは大いにある。どうも近頃は『ノクターン』全曲とかって、出版譜の順番で全曲録音をしていないと、ありがたがられないようですね。
さて、ショパンの『別れの曲』。練習曲集作品10の第3曲で、これは単独で演奏される機会は多い。全体は12曲で出来ています。バッハの平均率に習ってショパンが作曲、1829年にいくつかが書かれていてパリに出てから残りも書かれて曲集にまとまったものです。運指の練習用であることは楽譜に指定書きがあるところがあるのですが、たとえば第5番変ト長調には《黒鍵》という名前通り右手の主旋律は黒鍵だけで奏でられます。曲のクライマックスで1音だけ白鍵が印象的に響きます。それがショパンの狙いでもあったのでしょうが、本人もあざといと思っていたのかショパン自身はあまり高く評価していなかったようで、クララ・ヴィークがこの曲を演奏したことについて、「黒鍵のために書かれたということを意識して聴かないとあまり面白くないこのような曲を、なぜわざわざ選んだのか」という意味のコメントを残しています。(1839年4月25日のフォンタナへの手紙)
でもリサイタルでは演奏映えがする曲ですから、ショパンが楽譜に書いた以上に音符を加えて現在では演奏機会が多いようです。
作品10の《練習曲集》は第12曲《革命》ハ短調で、ダーン、ダーンと砲撃のような印象深い音が流れを中断させるように終わります。レコードの録音としては作品25は全曲録音していても、作品10の録音をしていないピアニストも居て理由は分からないのですが、わたしの推測では《革命》の終わり方にあるのでは無いかとも思います。
ワルシャワ音楽院を首席で卒業したのは19歳。1830年、二十歳のショパンはウィーンへ出発します。この曲は、彼が演奏旅行でポーランドを離れていた際、革命が失敗し、故郷のワルシャワが陥落したとの報をきいて作曲したものといわれています。この時期のショパンの精神状態が普通でなかったことは彼の日記からもうかがえます。
当然です。
ウィーンでピアニストとして評判を得て、また帰ろうと思っていたところに二度と戻れなくなったのです。故郷には恋人のコンスタンツィアを残してきたままなのです。
しかもポーランドが革命を起こしたことを知ったウィーン市民のショパンへの風当たりは、手のひらを返したような仕打ちでした。ショパンはウィーンをあきらめ、パリに向かいます。そこでリスト、ベルリオーズと逢ったことは幸いでした。
《別れの曲》の題名で親しまれていますが、これは日本だけのことで欧米では《グリーフ》。彼の弟子の一人、アドルフ・グートマンとのレッスンでこの曲を教えていたとき、ショパンは「ああ、私の故国よ!」と泣き叫んだという。そこからこの愛称がついているようで、ショパンはまた、「一生のうち二度とこんなに美しい旋律を見つけることはできないでしょう」といった程、彼が生まれたポーランドへの愛が高い質で顕現されており、校舎やクラスメート、或いは同僚にもショパンの抱いた気持ちを投じたいものです。
1934年のドイツ映画が『別れの曲』の邦題で、映画の中で使用されていたことに因むとされがちですが、映画がヒットしたことで、ラジオで『映画《別れの曲》の音楽です』と紹介されて、この曲のレコードが流れた期間がずいぶんとそのまま引きずってきているようです。
映画『別れの曲』で使用された演奏は、エミール・フォン・ザウアーのピアノ。ザウアーは1928年12月14日にODEONに《別れの曲》を《幻想即興曲》と共に録音しています。5分近い、じっくりと歌い込んだ演奏です。ショパンは、この3番の練習曲は4番を一緒に演奏されることを望んでいます。そのショパンの意図を汲んでか、『ピアノ名曲集』や『ショパン名曲集』と言ったレコードでは練習曲第3番と第4番が対で納められているのが常でした。演奏も3番の後に4番を引くことでひとまとまりとなるように弾いている録音も多いですね。3番だけで完結するような演奏と違って、そういう録音だと《別れの曲》だけではダンスを半ばでやめてしまっているような感じです。
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Posted by 武者がえし at 12:00│Comments(0)
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