これよりは恋や事業や水温む◉アラ・ホーンパイプ〜第208回、きらクラDON
運命は笑ひ待ちをり卒業す
「これよりは恋や事業や水温む」と高浜虚子の俳句を借りて、挨拶を書き出したかったのですが、先週から春一番が日本中を身震いさせています。長くは続かないと思いますが、寒暖差も激しいので体調にご注意ください。さて、第208回のきらクラDONは、ヘンデル作曲《水上の音楽》から、アラ・ホーンパイプでしょうか。イギリスのフォークダンスの音楽を模した曲は、新生活に胸膨らませる若者へのはなむけにふさわしい。
ヘンデルがドイツに居る時に宮廷楽長として仕えていたハノーファー選帝侯が、英国ジョージ1世に迎えられた時にテムズ川で大々的に催された舟遊びのために作曲。人の縁とは思いがけないものですね。立つ鳥あとを濁さず、卒業に思いを残さず、将来巡りあっても昔を笑い飛ばせるように、高浜虚子の俳句をもう一句「運命は笑ひ待ちをり卒業す」を新生活を準備している皆に、ヘンデルの明るい曲とともに贈ります。
水上の音楽
1715年、イギリス王ジョージ1世がテムズ川で舟遊びをした際に演奏した伝えられるヘンデル ( Georg Friedrich Händel / 1685〜1759 ) 作曲の管弦楽曲集。フランス風序曲形式による序曲と、舞曲形式を主とする数楽章からなる、代表的な管弦楽作品として知られる。 ドイツで生まれたヘンデルは1710年に、ハノーファー選帝侯の宮廷楽長に就任。12年にその地位にありながら外遊先のロンドンに移住、たびたびの帰国命令に背いて従わずアン女王の寵愛を受けていた。ところが、1714年にアン女王が急死し、不義理を重ねていたハノーファー選帝侯がイギリス王ジョージ1世として迎えられることになる。そこでヘンデルが『水上の音楽』を書き、王との和解を図るため演奏し見事に新国王の不興を解消した、というエピソードが有名であるが、最近の研究では事実ではないと考えられている。
しかし、1717年の舟遊びの際、往復の間に3度も演奏させたという記録が残っている。他に1736年にも舟遊びが催されている事実は確実とされている。この曲は3つの組曲と、調性の異なる異稿もあることから、これらの舟遊びに関係して、数度に分けて作曲、演奏されたものと今日では考えられている。オリジナルの管弦楽曲の自筆譜は遺失しているので、1723年ごろ出版された、11曲のパート譜と、1743年に出版されたチェンバロ編曲版(26曲)を元に管弦楽に復元した、20曲からなるクリュザンダー版や、6曲からなるハーティ版をはじめ数種類の復元版がある。
しかも、ヘンデルは1727年、正式にイギリスに帰化している。
Georg Friedrich Händel
(1685.2.23 〜 1759.4.14、ドイツ)
バッハと並ぶバロック音楽の巨匠。イタリアで歌劇の作曲を学び、ハノーヴァー候の楽長を勤めたが、イギリスに渡って名声を上げ、イギリスに骨を埋めた。人間的にも音楽的にもバッハとは対照的な作曲家で、バッハの書かなかった歌劇の分野で大いに活躍し、バッハが生涯ドイツにとどまって善良なる小市民としての生活に甘んじていたのに対し、彼の活動の舞台はずっと国際的で、歌劇場の経営にも手を出して3度も破産の憂き目を見ている。
彼が最も力を注いだ歌劇は、全部で40曲に達するが、現在では、ほとんど上演されない。オラトリオでは「メサイア」、「ユダス・マカベウス」、「サムソン」が有名。そのほか管弦楽曲では「水上の音楽」、「王宮の花火の音楽」などが知られている。
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