「クラシック音楽専科ガイド」
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2018年12月07日

『ヴィヴァルディってどんな顔 でも『四季』はよく知ってるよ』〜レコードが蘇らせた作曲家たち

レコードが蘇らせた作曲家たち〜ヴィヴァルディ・リポート

 ブライアン・メイでも、マルムスティーンではなくアントニオ・ヴィヴァルディ。〝ヴィヴァルディの四季〟は日本人の誰もが好むクラシック音楽でしょう。
『和声と創意の試み』としてヴァイオリン協奏曲が12曲セットになっている曲集の最初の4曲が『春、夏、秋、冬』と並んでいますが、曲集は更に『海の嵐』、『喜び』、『狩り』と続くのです。
 ですが、最初の4曲があまりにも有名になり、残りの8曲は影が薄くなってしまいました。CD では、それらが『四季』と一枚に収まっていることが多いのですが、こちらも季節感を感じる曲となっているので、付け足しに思えるぐらいなのはヴィヴァルディには申し訳ないと思ってしまう次第です。
 3月4日は、アントニオ・ヴィヴァルディの誕生日です。今日を『和声と創意の試み』の全12曲を聴く日にしましょう。そして、この協奏曲集に代表されるようにヴィヴァルディは、急―緩―急(速い―ゆっくり―速い)という3つの楽章からなる形式を作り上げ、後の作曲家たち、バッハやヘンデルに大きな影響を与えました。現代の私たちが協奏曲に持つ様式美がヴィヴァルディのアイデアだったことも、考えてみましょう。
ヴィヴァルディ

Antonio Lucio Vivaldi

(1678.3.4 〜 1741.7.28、イタリア)
 SPレコード時代に最も多く発売されたのがモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」でした。その理由としては、SPレコード片面に、各楽章がちょうど良い長さだったことが、需要になりました。
 LPレコードが登場すると、当初は10インチ盤からの移行もあり、再生時間は18分間を理想とされます。英DECCAがステレオ録音盤を市場に登場させると、録音可能時間が拡大。四季の大ブームはLPレコードが片面で25分間、聴くことが出来るようになったことです。そして、この作品は「春」「夏」「秋」「冬」が、それぞれ3楽章スタイルで、描写された情景がイメージしやすかったことと、「四季 Le quattro stagioni 」のタイトルで売りだしたことは発明といえます。
FR PHIL 835.030 LY イ・ムジチ合奏団&フェ… こうして、それまで一般の音楽愛好家はほとんど耳にしたことのなかった《四季》と、無名に等しかったヴィヴァルディの名が一躍世界に轟き、脚光を浴びることとなりました。しかも、帝王と呼ばれたカラヤンは、生涯2億枚のLP・CDを売上げたといわれますが、1962年に発売されたベートーヴェンの《第9交響曲》の1枚が150万枚を売り上げ、ミリオン・セラーに輝いているぐらいですから、ローマの音楽大学を出たばかりの若い「音楽家たち」の、これまた耳慣れないバロック音楽というジャンルがが、世界で爆発的にヒットするなど前代未聞の事件でした。


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GB DEC SPA201 カール・ミュンヒンガー ヴィヴァルディ・… 以前、蓄音器を楽しむ会の新年会の流れで寄ったホワイエで話題にしましたが、バロック音楽というクラシック音楽の一ジャンルが定着するのがイ・ムジチの四季が大ヒットしたことがとても大きいことでした。
『それ以前にも有名盤があったよね。』
 さすがに会長がそういったのはカール・ミュンヒンガーのシュトゥットガルト管弦楽団の DECCA 盤のこと。ヴィヴァルディの春、夏、秋、冬と表題のある曲をひとまとめとして『四季』としたのは大ヒット商品を創りだすレコード会社のアイデアのおかげだったと思います。ちょうどLPレコードが一般的に普及し渡ったところで、さて何を聞こう。クラシック音楽でも楽しみたいけど小難しいことはわからないよ。そういう中産階級の期待にぴったりマッチしたのです。

美しいバロック音楽の黄昏

 音楽史におけるバロック時代は1600年頃から1750年頃までの時期を指します。1607年にオペラ史上における最初の傑作といえる歌劇《オルフェオ》が上演。この時がバロック音楽の誕生で、その後のクラシック音楽、古典派、ロマン派、近代・現代音楽と発展していきます。
FR PHIL C.7 イ・ムジチ合奏団 ヴィヴァルディ・協奏曲集 1600年のアンリ4世とメディチ家令嬢との結婚式に列席した諸侯の一人に、モンテヴェルディが仕えていたマントヴァ公爵が列席していました。マントヴァ公爵は、モンテヴェルディに対して同様な音楽劇の作曲を命じることとなり、モンテヴェルディは、カメラータのモノディー様式を取り入れながらも、それまでの自らの創作で培ってきた歌そのものの表現力を歌劇《オルフェオ》に織り込み、後のアリアにも通じる劇的な歌唱を作り出しました。また、単なる伴奏の域をはるかに超える充実した楽器群による情景描写、二重唱や合唱の効果的な使用、転調による鮮やかな場面展開などの創意工夫が、音楽劇のドラマ性をさらに高めています。
 そしてもう一曲、バロック音楽の確立の柱になる曲があります。1610年に作曲された《聖母マリアの夕べの祈り》は、宗教曲でありながらも華やか管弦楽と華麗で技巧的な歌唱が盛り込まれ、しかも、楽譜が刊行されたことも相まってモンテヴェルディの名声と、センセーショナルな音楽が広まり、いよいよルネサンス期の宗教曲の面影はほとんど姿を消していくことになりました。
 モンテヴェルディ以降、バロック音楽は多様な形式が登場し、現在において人気のある作曲家、イタリア人のアントニオ・ヴィヴァルディ、ドイツ人のヨハン・ゼバスティアン・バッハ、そしてドイツに生まれながらイギリスに渡ったジョージ・フレデリク・ヘンデルら3人が活躍した18世紀前半に、クラシック音楽の基本様式が整います。つまり、バロック時代の後期を主に私たちは聴いて楽しんでいます。
GB CBS 61629 スターン&オイストラフ ヴィヴァル… 優れた弦楽器奏者でもあったヴィヴァルディが作曲した器楽曲の内、約80%が独奏楽器のための協奏曲となっています。しかも、ヴァイオリンやチェロのために書かれた曲がほとんど。鍵盤楽器のための作品は、編曲したチェンバロ協奏曲が一曲あるぐらいです。それまでの協奏曲といえば、合奏協奏曲のことですが、現在私たちが「協奏曲」から思い描く、独奏者とオーケストラが合奏するスタイルを発明しました。
 そして、これらの膨大な数の協奏曲集は、古典派音楽を代表するヨハン・ゼバスティアン・バッハ、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンら、後世の音楽家たちに多大な影響をもたらします。

身寄りのない女の子たちのために楽団を作った「赤毛の司祭」

 アントニオ・ヴィヴァルディは、同じバロック時代のヨハン・ゼバスティアン・バッハに比べて世俗的な生き方をした。
 彼は1678年、ヴェネツィアに生まれ、父親が教会ヴァイオリニストであったため、早いうちから音楽に接し、父親から学んだ。15歳で剃髪式を受け聖職に入り、10年の間、聖職者となるべく教育を受けた。しかしその間も音楽への関心は高かったのだろう、25歳で司祭になる ― 彼が聖職者の道を選んだのは、音楽家として活動するのに、教会に所属していた方が都合が良いと考えたからのようです。 ― とすぐに、教会の孤児院であったピエタ養育院の教師となり、38歳で合奏長になった。
BG BALKAN  BCA10802 ヴァシル・カザンジェフ ヴィ… やがて彼は、身寄りのない女の子たちを育てるピエタ養育院のバイオリン教師になり、楽団を作って熱心に指導しました。当時ヴェネツィアは音楽が盛んでしたが、中でもヴィヴァルディの率いるピエタ養育院のオーケストラの評判は高かったと言います。そんな彼女たちのために、彼はたくさんの曲を作曲しました。
 よく知られた協奏曲集「四季」は、47歳の時に書かれた作品です。「和声と創意の試み」と題されたこの協奏曲集は、もともと12曲からなるものですが、最初の4曲「春」「夏」「秋」「冬」があまりにも有名になり、「海の嵐」「喜び」「狩」など残りの8曲は影が薄くなってしまいました。この協奏曲集に代表されるように、ヴィヴァルディは、急−緩−急(速い−ゆっくり−速い)という3つの楽章からなる形式を作り上げ、後の作曲家たち、バッハやヘンデルに大きな影響を与えました。
 そんな彼の髪の毛が赤かったため、「赤毛の司祭」と呼ばれている。しかし彼は ― 出生時に起因する病弱だったからか ― 司祭の仕事であるミサをせずに劇場に通い、さらに歌手のアンナ・ジローと同棲してしまった。
 そして1740年、職を辞し、家財を処分してウィーンに向かったのである。理由については、おそらくオペラへの情熱ではないかと思われるが、定かではない。

 ヴィヴァルディは多作で有名であり、協奏曲だけで500以上作曲している。例えば、彼の曲を写譜している人に、「あなたが楽譜を写している間に、新作を作ってみせましょう」といって、本当に作曲してしまったと言う逸話も残っている。ただ、バロック時代の作曲家は残されている資料も少なく、ヴァヴァルディについても知られていない部分が多い。

アントニオ・ヴィヴァルディ 略歴

1678年
ヴェネツィアに生まれる
1693年
聖職に入る
1703年
司祭になる、ピエタ養育院のヴァイオリン教師となる
1711年
協奏曲集「調和の幻想」op.3を出版
1716年
ピエタ養育院にて合奏長になる
1725年
「四季」を出版
1740年
ピエタ養育院を辞職し、ヴェネツィアから姿を消す
1741年
ウィーンで死去

初期盤・クラシックレコード専門店「RECORD SOUND」

入手のメインルートは、英国とフランスのコレクターからですが、その膨大な在庫から厳選した1枚1枚を大切に扱い、専任のスタッフがオペラなどセット物含む登録商品全てを、英国 KEITH MONKS 社製マシンで洗浄し、当時の放送局グレードの機材で入念且つ客観的にグレーディングを行っております。明確な情報の中から「お客様には安心してお買い物して頂ける中古レコードショップ」をモットーに運営しております。



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